とある親子の人生と成長を描いた映画『漁港の肉子ちゃん』。
個性は強いけど親しみやすくて憎めないキャラクターたちの面倒な女子特有の成長や、ほっこりとする親子の絆・変化が感じられる映画で面白かったです。
どちらかといえば女子特有の面倒臭さ・成長に懐かしさや親しみやすさを感じる方、一風変わった親子の絆を描いた映画がお好きな方におすすめ!
映画『漁港の肉子ちゃん』の作品情報
あらすじ
語呂合わせや漢字の成り立ちが大好きな、明るく素直でぽっちゃりとした女性/肉子ちゃん。
16歳になると関西のスナックで働き始めるのですが…肉子ちゃんは様々な男に騙され貢いでは捨てられ、子供を連れながら住まいを転々として生きていました。
35歳の時、同棲していた自称小説家の男が突然姿を消し、彼を探しに漁港のある小さな町にたどり着きますが彼は見つからず…肉子ちゃんはその町に住むことを決意します。
それからしばらく経って…船を住居にしながら暮らす肉子ちゃんと、小学5年生になった娘/キクコ(きくりん)。
肉子ちゃんは焼肉屋の店長/サッサンの店で働き、キクコは同級生/マリアちゃんと一緒に学校に通って、休み時間にバスケをする平凡な日常を過ごしていました。
休み時間のバスケ・チーム分けに不満を抱いているマリアと、バスケが好きなキクコとの間にちょっとした意見の食い違いが生まれてはいましたが…。
夕方にはサッサンの店で彼のつくるまかないを食べて、自称小説家の影響で好きになった本を読んで…昔と何も変わらず、大好きな肉子ちゃんと仲良く暮らしていました。
けれどある日、今まで名前も知らなかった男子/二宮が変顔をしているのを見かけ、彼のことが気になるようになって…。
予告動画
動画リンク
映画『漁港の肉子ちゃん』の感想
【面白ポイント】
- 個性が強い憎めないキャラ
- 面倒な女子特有の成長
- ほっこりとする面白い映画
個性が強い憎めないキャラ
キャラの個性が強めで最初はビックリしましたが…観ていく内に慣れるし、親しみやすさ・憎めない要素があるキャラが多くて良かったです。
ダメ男に振り回されて子連れで各地を転々としていた肉子ちゃんにも、彼氏がいる母親・祖母の喪失などから来るトラウマがあったのかなと理解できるフシがあったし…。
そんな過酷な人生でも明るさを失わないポジティブさ・自分らしく真っ直ぐ一生懸命に生きている姿は、何とも言えない羨ましさすらあって、良いキャラだったと思います。
嫌いになれない・悪い人ではないというのがちゃんと伝わってきて、身近にいると面倒そうだけど何とも憎めないキャラでしたね。
キクコも言ってはなんですが毒親の元に生まれ育って、もっとひん曲がっていてもおかしくないのに真っ直ぐで素直で、でも我慢していることも多くて…。
子供なりに大人に気を使って、上手く生きようとしている姿が切ないし健気で…でも芯には肉子ちゃん譲りの素直さがあって、何か良いキャラクターでした。
その他のマリアちゃん・二宮・サッサンといったキャラにも、それぞれの言動に思惑・背景・親しみやすさや理解できる節があってすごく良かったです。
リアルではないけど、こんな人もいるかもしれないなと…どこかにいそうだと感じさせる、個性が強いけど憎めないキャラクターたちでしたね。
面倒な女子特有の成長
生理・胸の膨らみ・恋バナ・派閥争い・悪口の言い合い・仲間外れなど、キクコの生活には面倒な女子特有の成長が感じられて、懐かしさと共感できるものがありましたね。
親と一緒にいるところを友達に見られたくない、目立つ親が恥ずかしいとかは子供から大人に成長する段階で、誰にでもよくあることですけど…。
女子はそれにプラスして生理・胸の膨らみとか身体の変化は現れるし、気持ち的にもおませさんになってきて恋バナ・悪口・派閥争いが増えてきて…すごく面倒ですよね。
どうするのが正解なのかよく分からないし、でも否応なしに自分や周りが変化してきて…すごく面倒なのが懐かしかったし、共感できるものがありました。
自分の好きな人が他の人を褒めている時に感じる嫉妬心、嫉妬から友達の悪口を言う自分自身への自己嫌悪…ただ楽しかったことが消えて、自分の嫌なところが出てくる。
そんな成長と共にやってくる自分や周りの変化とか、主人公が女子ということもあってか女子特有の面倒くさいところがすごく出ていて良かったです。
共感できるし、何というか大人になって見ると懐かしさがありましたね。
反面、女子の面倒くさい成長に共感・懐かしさが感じられる分、男性だとよく分からないというか…そうなんだぁ程度で終わる可能性があるかもしれませんね。
女子ってそういうところがあったみたいな懐かしさを感じる方もいるでしょうし、姉妹がいた方だともっと身近に感じられるものがあるかもしれませんが…。
やはり女性・女子の方が共感しやすい、懐かしさを感じやすい映画だったのかなと思います。
ほっこりとする面白い映画
実の親子ではない真実・過去のこと・出生のことなどには驚きましたが…最終的にはほっこりとする面白い映画だったと思います。
あんまり何も考えずに観ていたので実の親子ではない真実とか、運動会でのシャッター音の伏線には純粋にビックリしましたが…。
最終的には血縁関係なしの家族愛とか、色々なキャラの成長や変化が見られて良かったなと…ほっこりとする映画でした。
キクコは望まれて生まれてきたわけではないと言ったけど、肉子ちゃんもサッサンもキクコのことを大切に想ってくれて…血は繋がっていないけど家族がいた。
サッサンの「おまえさんは望まれて生まれてきたんや」っていうセリフには、グッとくるものがありましたね。
キクコの人生が順風満帆かと言われると決してそうではないし、一度は親に見捨てられたことは許せないし悲しくて、肉子ちゃんとの生活も子供に良いとは言えないけど…。
やっと落ち着いた生活ができるようになって…キクコは肉子ちゃんのことが大好きだし、故郷ができて友達ができて幸せそうでした。
過去には色々あったけど、今が幸せだと思えるのであれば良いというか…そう思えるだけの愛情を肉子ちゃんからもらっていたと、ほっこりとするものがありましたね。
良いキャラクターで驚きあり・涙あり・ほっこりありな良いストーリーで、良い映画だったと思います。
ただ子供がいるのにフラフラしていた肉子ちゃんのこと、子供を残して去ったみうのことがどうしても受け付けないという方もいると思うので…好みは別れそうかな。
私はキクコ本人が幸せなら良い、今が幸せだと言えることが良かったと感じましたが…毒親系に拒絶感がある方とか苦手な方は、注意したほうが良いかも知れませんね。
映画『漁港の肉子ちゃん』の考察
【考察ポイント】
- 二宮の変顔の意味
- 船に住む条件の意味
- 漁港が舞台な理由
- 肉子ちゃんの体重
- みうがキクコを置いていった理由
- 最後の「おめでとう」の意味
二宮の変顔の意味
おそらく小学生の男児、顔をしかめる・口を歪める・尖らせるなどの行動を思うと、二宮はチック症だったのではないかなと思います。
自分自身でコントロールできるものでもなく、センターに通っていたのも好きなことに集中してストレスを減らす・症状を抑える治療の一種だったのではないかな。
詳しいわけではないのであまりチック症については深く語りませんが…二宮の変顔には、皆それぞれに悩みがあるし苦労しているという意味があったのだと思います。
肉子ちゃんは恋多き母親・世話してくれた祖母・妹のようなみうを失ったトラウマがあっただろうし、キクコにも望まれない子・友人関係の悩みなど色々とありました。
でも何かトラウマや悩みを抱えているのは肉子ちゃん・キクコ親子だけではなく、周りの人間にも当たり前にあるということでしょう。
おそらくですがキクコの友人/マリアちゃんは、洋風で大きな邸宅だったことを思うと親子関係・田舎での人間関係に悩んでいた可能性が高いですし…。
二宮も多くは語らないけどチック症のことに悩んでいた時期だってあるだろうし、もしかしたら自分よりも親が苦悩していて心苦しく思っていたかも知れません。
サッサンもキクコや肉子の面倒を見たり気にかけていたこと、奥さんらしき人の写真を店にずっと飾っていたことを思うと、過去に何かあったのかもしれませんよね。
今作はどうしても女子が主人公なので、親子・女性絡みの悩みが中心に描かれがちですが…彼女たち以外の人間や、男子にだって悩みはあるということでしょう。
つまり二宮が変顔をするのはチック症だったから、女子も男子も大人だってそれぞれに悩みがあるという意味を込めた描写だったのではないかなと思います。
船に住む条件の意味
船に住む条件がお腹を壊さないことなのは、船のトイレはマリントイレになっていて特殊だから…お腹を下しがちな人が住むにはしんどいからだと思います。
肉子ちゃんたちの家は常時停泊中の船を家代わりにしているだけ。
ということはトイレももちろん家庭にあるようなものではなく、小型船に乗せる汚物を細かくして海に排水するようなタイプのトイレだったのではないかなと思います。
マリントイレにも色々な種類があるようですが、船に年季が入っていたことを思うと…古いタイプのトイレで、排水にも難のあるポンプ式だったのではないかな。
つまりよくトイレをする・お腹を下しやすいタイプだと、面倒な排水を何度もしなければいけないし、船の周りに汚物が浮きやすいのではないかなと思います。
普通に利用する分には問題ないでしょうが、1日に何度もトイレに行きます・水っぽい便ばかりです状態だと、停泊中の船に住むのはキツいのでしょう。
だから腹を下しやすいタイプの人間だと船のトイレは排水に難があるし、船の周りに汚物が浮きやすいから住むのはキツいという意味合いで言っていたのだと思います。
あとは最初は外部から来た肉子ちゃんたちに優しく声がけすることができず「腹を壊さないのが住む条件だぞ」と、ぶっきらぼうに言ってしまったのかも知れませんね。
それを素直なキクコは真に受けてしまって、お腹を下さないことが住む条件とずっと捉えて守っていたのだと思います。
原作の場合
原作だとそもそも船に住んでいないし、住み込みの条件が「お腹を壊さない」の理由として飲食店の従業員が食中毒とか悪い噂が立たないようにと言われています。
焼肉屋で働く肉子ちゃんとまかないを食べているキクコがお腹を壊すと、焼肉屋と無関係な理由だったとしても「もしかして…」と小さな町だと悪い噂が立ちかねません。
だから焼肉屋に悪影響を与えないように、住み込みの条件としてお腹を壊さないこととキクコ・肉子ちゃんにサッサンが言っていたらしいです。
ただ原作と映画版だと住居の設定も違いますし、サッサンのイメージも少し違うように感じたので…個人的には映画の場合は前述の考察の方がイメージにあっているかな。
映画版のサッサンの印象から、子供のキクコにまで「お腹を壊すな」と店のために強要するようには思えません。
なので映画版の場合は、船のトイレが特殊で頻繁な使用に難があるから、お腹を壊すとしんどいぞという理由で、お腹を壊さないと条件を出していたのだと思います。
船に住んでいる理由
そもそも肉子ちゃんとキクコが船に住んでいるのは、肉子ちゃんの生活音・いびきなどが田舎の集合住宅地に適していないからだと思います。
冒頭で肉子ちゃんのいびきがトトロのように響き渡っているシーンがありましたし、大きな体でドタバタと動く肉子はアパート暮らしには不向きでしょう。
都会に住んでいた頃は周囲が「そういうもの」と他人に無関心で、我慢したり引っ越したりしてくれたから事なきを得ていたけど…。
田舎町だとそういうわけにもいかず、肉子ちゃんの生活音やいびきがひどいために周りに迷惑を掛けないように船で暮らしていたのではないかなと思います。
あとはサッサンがたまたま使っていない船を所持していたから、昔使っていた船を手放さずにいたから…とかも理由としてあるかもしれませんね。
肉子ちゃんはキクコのためにお金を貯めたいから家賃を浮かせたい、サッサン的には使われないよりかはマシと船を住居として提供していたのではないかなと思います。
漁港が舞台な理由
フラフラしていた根無し草の肉子ちゃんとキクコという船にとって、帰るべき場所・居場所があの漁港だったという意味が込められていたのではないかなと思います。
船にとって仕事場は海で、仕事が終われば必ず港に帰ってくる…と決まっていますよね。
でもキクコと肉子ちゃんは定住せずにフラフラと色々なところに移り住んで、決まった仕事も帰れる故郷もありませんでした。
そんな時、ひょんなことからあの漁港にやってきて住むことになります。
キクコも肉子ちゃんも定住するつもりはなく、何かあればまた引っ越すものだと思っていたのでしょう。
でも長く住む内にキクコと肉子ちゃんにとってサッサンがいて、街の人がいるあの街こそ帰ってくる故郷…やっと船を止められる場所にたどり着いたのではないかな。
血は繋がっていないけど家族がいて、生まれ育った場所じゃないけど故郷ができて…彼女たちもやっと落ち着けたという意味が込められていたのではないかなと思います。
肉子ちゃんの体重
肉子ちゃんの151cm・67.4kgという数値は16歳より前の計測結果で、それまでずっと健康診断を受けるヒマもなかったという意味があったのではないかなと思います。
肉子ちゃんの見た目はどう考えても67kg以上ありそうな見た目でした。
でも肉子ちゃんは67kgと嘘をついている様子もなかったことを思うと、彼女の言う身長や体重はスナック仕事を始める前…ずっと前の計測結果だったのだと思います。
肉子ちゃんは16歳でスナックに働きはじめ、悪い男に捕まって借金があって節約しながら働いていて、キクコができてからはさらに仕事を増やしていました。
おそらくは忙しすぎるのと、自分の健康に気遣うタイプではなくて健康診断などは受けていなかったのだと思います。
子供の頃は健康診断が定期的にありましたが、大人になってからは仕事によっては必須というわけではないから…ずっと受けてこなかったのでしょう。
つまり151cm・67.4kgという数値は16歳より前、彼女が学生時代の頃に受けた健康診断の結果をずっと言い続けていたのではないかなと思います。
嘘・サバを読んでいるとかではなく、自分の成長・時間の流れ・健康面を自覚していないというか、気にする余裕がないほど忙しかったということでしょう。
みうがキクコを置いていった理由
本当の母親/みうがキクコを置いて去ったのは、毎日繰り返される育児・子供に縛られる人生に若さゆえに恐怖し、嫌気が差したからではないかなと思います。
子供ができない身体と知った時は悲しかったし、子供が出来た時に嬉しかったというのは本心でしょう。
父親がいなくても自分が育てると覚悟して、肉子ちゃんがいるから頑張れると思っていたのもその時の本心ではあったと思います。
でも実際に子供が生まれると授乳・おむつ交換・理由不明の号泣といった育児に翻弄され、やっと借金を返し終わったのにお金も時間も一切自由になりませんでした。
みうは若かったこともあって、そんな育児だけの人生がこれからも続くこと…恋人もできない・結婚もできない人生に、フッとした瞬間に恐怖して絶望したのでしょう。
だからお金と母乳という母親としてできる自分なりの最後の愛情を残して、キクコを置いて家を去ったのではないかな。
つまりみうがキクコを残して去ったのは、若さゆえに繰り返される育児・子供と肉子ちゃんだけの人生に恐怖・絶望したから…自由になりたかったからだと思います。
みうは自分が自由になりたかったから、そんな自分の人生にキクコを振り回さないように置いていった、肉子ちゃんはキクコを離さないけど自由に生きたということかな。
でも最終的には肉子ちゃんに連絡を取り、運動会の写真を撮って泣いていたと言っていたことを思うと…若い頃の行いを現在は後悔しているようですね。
最後の「おめでとう」の意味
キクコに生理がきて…みうが妊娠した時は号泣して喜んだけど、キクコの成長は悲しくも微笑ましくもあり、親心で穏やかに喜んでおめでとうと言っていたのだと思います。
キクコの生理報告はみうが妊娠した時と似たような状況でしたが…肉子の反応は号泣・微笑み、感情的・冷静と正反対でした。
おそらくですがみうの時は彼女の妊娠が純粋に嬉しかった、若かったこともあってその後の苦労・彼女が変化することとかは何も考えていなかったのだと思います。
でもキクコの生理は成長を感じられる喜びと共に、恋人・就職・結婚などで自分のもとから離れていくことを連想させ、肉子ちゃんは不安になったのでしょう。
でもそんな不安を『親』として出してはいけないと思ったからこそ、肉子ちゃんは深呼吸をしてから優しく微笑んで「おめでとう」と言ったのではないかな。
キクコの生理という成長が嬉しい反面、自分から離れていく不安なイメージもあったけど…肉子ちゃんは親として、おめでとうと穏やかに微笑んだのだと思います。
映画『漁港の肉子ちゃん』の関連作品
映画版とは住居・肉子ちゃんの恋模様・キクコの印象などの設定が変わっています。
ただキャラの心情や設定がより細かく書かれているので、映画の補足としておすすめ。
小説とマンガの中間を行くような程よく古めかしくて、読みやすさと雰囲気のあるマンガです。
まとめ
イメージしていたよりもキャラの癖が強く、コメディ調で驚きましたが…最終的にはほっこりとするものがある映画で良かったです。
ただ主人公が女の子ということもあってかどうしても女性の方が共感しやすいし、親側があまり褒められた行動をしていないから…好みは別れやすそうかな。
どちらかといえば女子特有の面倒臭さ・成長に懐かしさや親しみやすさを感じる方、一風変わった親子の絆を描いた映画がお好きな方におすすめ!