フレディ・マーキュリーの人生を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』。
QUEENを知らない方にもおすすめしたくなるくらい、壮絶な人生を描いたヒューマンドラマで、万人受けはしないかもしれませんが…なんというかすごい映画でした。
どちらかといえばヒューマンドラマ系の映画がお好きな方、実話をもとにした映画がお好きな方におすすめ!
映画『ボヘミアン・ラプソディ』の作品情報
あらすじ
1970年、夜な夜なライブハウスに通う歌好きな青年/フレディ。
『SMILE』というバンドを気に入って追いかけていましたが、SMILEのボーカルは脱退…そこに自分はどうかと歌唱力を見せつけ、売り込みます。
SMILEは新規メンバーのベース/ジョン・ディーコン、ボーカルにフレディを迎え、ドラム/ロジャー・テイラー、ギター/ブライアン・メイの4人でド派手に再スタート。
1年後、バンド名を『QUEEN』に変え、バンド仲間と共に独特なレコーディングをしてアルバムを自主制作…それがレコード会社/EMIのジョン・リードの目にとまります。
メンバーとの関係、恋人/メアリー・オースティンとの関係も良好…その裏に改名・出身地・生家の宗教・前歯などのコンプレックスもありましたが。
けれど姓も変えてフレディ・マーキュリーとなり、居場所のない世間のはみ出し者に曲を捧げるQUEENとして、ラジオ・TV出演・ツアーとどんどん活躍の幅を広げます。
そして恋人のメアリーにプロポーズ、バンドにマネージャー/ポール・ブレンダー、弁護士/ジム・ビーチ(マイアミ)と関係者が増えて…幸せの絶頂にいるはず、でした。
次の新曲についてEMIのボス/レイ・フォスターは人気曲のメソッドを繰り返せと命令しますが、QUEENはオペラ調で斬新なアルバム『オペラ座の夜』制作を押し通し…。
予告動画
動画リンク
映画『ボヘミアン・ラプソディ』の感想
【面白ポイント】
- 壮絶なヒューマンドラマ
- QUEENを知らない人にも
壮絶なヒューマンドラマ
面白かったとか、つまらなかったとか…そんな言葉では片付けられない、上手い感想が浮かばないほど壮絶なヒューマンドラマ映画でしたね。
フレディは明るい人生の中に、ミュージシャンとしての迷走・性的指向の葛藤・孤独・エイズ…闇深いボロボロな人生も持ち合わせていました。
そして上手くいって傲慢になったときもあったけれど、迷走した人生に区切りをつけることができて、自分らしい人生を取り戻すことができた。
サクセスストーリーも失敗も苦悩も、本当に色々なことがあって…一人の長い長い人生を凝縮した映像を観た感覚のする映画でした。
だからその人生に対して、面白いとかつまらないとか…そういった感想が浮かばなかったですね。
ただ一言、すごいなと感じる映画でした。
最後のライブでは、理由なき涙が滲んでくるぐらい…良い映画だったと思います。
ただ反面、ヒューマンドラマとしてのテイストが強すぎるので『面白い映画』を求めている方、一人の人生を見守るような映画が苦手な方には不向きな映画だったかな。
印象としては映画『グリーンブック』や、『シンドラーのリスト』に似ていたかなと思います。
テーマ的にもどちらかと言えば重いほうだし、それでいて映画時間がテーマの割には短いので…好みは別れやすいかなと思いました。
QUEENを知らない人にも
今作はQUEENがお好きな方だけでなく、QUEENを知らない方でも楽しめると言うか…心にくるものがある映画だったのではないかなと思います。
もちろんQUEEN好きな方であれば、より楽しめる映画ではあると思いますが…QUEENをよく知らないから観てないという方にもおすすめしたいですね。
私も話題作だから映画の名前は知ってる・QUEENという名前やフレディ・マーキュリーの名前は知ってる・歌詞の一部を知っている程度の知識で観ましたが…。
上手く言葉で表現することができないのですが、観てよかったなと思える映画でした。
ただセクシャルマイノリティについて・栄光の裏に落ちる影・成功者ゆえの傲慢さなども描かれているので…万人受けする映画ではないのかもしれません。
あとこの映画を観たからといって、QUEENにハマった!この映画は何度もリピートだ!というほどハマったかと聞かれると…私の場合はそこまでではないですね。
この映画を観たからこそ、QUEENの名曲を知って好きになるきっかけになったけど…そこまで熱く燃え上がるものはなかったです。
けれど考えさせられるものがあったし、涙ぐむ場面もあったし…食わず嫌いで観ていなかったけれど、観てみて良かったなと思える映画ではありました。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』の考察
【考察ポイント】
- 弁護士/ジム・ビーチの最後の行動
- タイトルの意味
- パーティーでメンバーが帰った理由
- ジム・ハットンを選んだ理由
- 妻/メアリーとの関係性
弁護士/ジム・ビーチの最後の行動
最後のライブ・エイドで裏方にいた弁護士/ジム・ビーチことマイアミが、『触るな』とメモ書きのあった機材のメーターを上げたのはQUEENのためだったと思います。
ジムが操作していたのはおそらく音響用機材で、操作していたのは音量のメーターでしょう。
来場者の耳を守るため・近隣への騒音対策・音割れ防止・TVを通して聴く人への配慮などのため、おそらくは運営側が音量をセーブしていたのだと思います。
けれどフレディ・マーキュリーはこだわる人でした。
少しでも違うと思ったら何度でもリテイクするし、ライブパフォーマンスは常にド派手…そんな彼に音量制限は無粋・邪魔と思ったのでしょう。
QUEENを支え続けた一人として、QUEENのため、QUEENのファンのために…QUEENらしくド派手な復活を盛り上げるために、音量を上げたのではないかなと思います。
なんというか1ファンとして、もっといえばQUEENの一員としての行動だったのではないかな。
タイトルの意味
ボヘミアン・ラプソディがタイトルになっているのは、発売されるにあたってのストーリーがフレディ・マーキュリーの人生にマッチしていたからではないかなと思います。
そもそもボヘミアン・ラプソディはQUEENにとっては自信作でしたが、EMIのボスであるレイには売れない・長い・意味不明と発売前から酷評されていました。
そんな背景はフレディ・マーキュリーがSMILEに入ろうとしたときに「その歯じゃ無理だ」と、やる前から駄目と決めつけられた時と似ていたように思います。
でも実際は歌ってみれば認められ、自分でどんどん行動して評価されて…フレディ・マーキュリーの名前とボヘミアン・ラプソディという曲はその名を轟かせることに。
フレディによって話題性をつくられたために、EMIとしてはボヘミアン・ラプソディを発売せざるをえなくなったのでしょう。
そしてみんながみんな、良い評価をしたわけじゃないというか…批判的な意見もあったけれど、ファンには支持されていたところまでフレディと同じだと思いました。
居場所のない世間のはみ出し者に曲を捧げるQUEENの理念、詩の意味はリスナーに委ねるという、はみ出し者のフレディらしい曲。
そしてその曲調は独創的かつ壮大で、ミュージカルのように劇的で…まさに自由奔放でド派手で破天荒なフレディの人生そのもの。
ボヘミアン・ラプソディという曲の発売に至るまでのストーリーと、フレディの人生がマッチしていたからこそ、今作のタイトルに選ばれたのではないかなと思います。
パーティーでメンバーが帰った理由
QUEENはファミリーだとやってきたのに、マネージャー兼愛人/ポールと親しくなって傲慢になって、メンバーを見下すようになったから怒って帰ったのだと思います。
突然のパーティーにもメンバーはパートナーを伴って来ていたことを思うと、パーティーに参加すること自体は別に良かったのでしょう。
ただ踊りたくないというメンバーに対して「命令だ」と強要したり、忠義心を求めたり、メンバーのことを悪く言うことが許容できなかったのではないかな。
QUEENとしてやってきた仲間であり家族だからこそ許せなくて、「たまにお前が心底ムカつく」と捨て台詞を残して、パーティーの途中で帰ったのだと思います。
フレディがそんなにも尊大な態度を取ったのは、ポールのこと・メアリーとのこと・メンバーへの嫉妬があったのではないかな。
根本的に、フレディは個人で活動しないかという話に激怒して突っぱねるくらい、メンバーのことを大切に思っている人でした。
けれどポールがフレディにだけ忠実でゴマをするイエスマンで、対してメンバーはフレディに何でも意見する存在。
自分のパートナーであるメアリーはパーティーに来ないどころか別居しているのに、メンバーのパートナーはパーティーに一緒に来ている。
孤独・嫉妬・思い通りにならない他人への感情がぐちゃぐちゃになった結果、みんな自分に従う存在であれば良いのにと思うようになってしまったのではないかな。
つまりメンバーはフレディの尊大な態度に怒ってパーティーの途中で帰ってしまったけれど、そんな態度を取るフレディにも苦悩があったのではないかなと思います。
ジム・ハットンを選んだ理由
フレディがライブ前・最後の伴侶にジム・ハットンを選んだのは、彼がQUEENのフレディ・マーキュリーではなく『自分』を見てくれたからではないかなと思います。
パーティー用に雇ったジム・ハットンは、フレディに尻を触られると誰もが喜ぶ中、怒って拒絶しました。
でも謝罪をすれば受け入れてくれて、一緒に飲もうと言えばそばにいてくれて…肉体関係ではなく、会話を求めてくれます。
心の内にある悩みを聞いてくれた、本当の友達がほしいと言い当てられた、自分自身を好きになったらまた会おうと言ってくれました。
それがフレディにとっては衝撃的で…誰もがQUEENのフレディ・マーキュリーとして自分を見る中、彼だけが自分自身を見てくれたように感じたのではないかな。
だからこそ自分らしい人生を取り戻そうと思った時に、彼に会いたいと…ずっとそばにいてほしいと思って、会いに行ったのでしょう。
『自分』を見てくれる彼と『自分らしい人生』を一緒に歩んでほしいと思ったからこそ、フレディはジム・ハットンに会いに行ったのではないかなと思います。
元恋人/メアリーに執着していた理由
カミングアウトした後も指輪にこだわり、別居しても隣家に住んだりとずっとメアリーに執着していたのは、彼女が大切であることに偽りはなかったからだと思います。
彼女が別の恋人をつくろうとも、プロポーズの指輪を外すようになっても…フレディの中ではメアリーは大切な存在で、ずっと変わらず好きだったのでしょう。
でもプロポーズしたあとに、自分が男性も好きなのだと自覚してしまいました。
男性を好きな自分とメアリーのことも大切な自分との葛藤・理解されない孤独…その結果が、メアリーへの執着だったのではないかなと思います。
大好きなんだ、大切なんだ、嘘じゃないんだ…でも男性も好きなんだという自分でも分からない歪みが、異様な執着に繋がってしまったのではないかなと感じました。
でも彼女に子供ができて、家に帰りなさいと言われて…彼女は自分とは違う人生を歩み始めているのだなと、やっと理解することができたのではないかな。
大切であることに変わりはない、男性が好きな自分も自分、彼女はもう自分の帰るべき場所ではない…でもそれで良いと、自分の中で納得できたのだと思います。
その結果が愛人との別れであり、QUEENの復活であり、ジム・ハットンとの再会…自分らしい人生の復活だったのではないかなと感じました。
なのでカミングアウト後もメアリーに執着していたのは、生涯の伴侶ではないけれど大切な存在であることに変わりはなかったからだと思います。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』の関連作品
今作を観たあとだと、歌詞にフレディの人生を感じる曲になっています。
短い中に野望・ノリの良さ・パワフルさが詰まっている名曲ですね。
しっとりしてるけどロックで、鼓舞してくれているように感じる名曲ですね。
差別がテーマになっているけれど、今作のような観やすさがあるのでおすすめ。
驚異の3時間超え+重すぎるテーマ+白黒で好みは別れるかも。
まとめ
話題作ということで名前は知っていたものの、QUEENをそこまで知らないしと敬遠していましたが…観てよかったと思える映画でした。
フレディ・マーキュリーの人生が凝縮されていて、実話をもとにしていると思うと圧倒される生き様に考えさせられるものがありましたね。
なのでどちらかといえばヒューマンドラマ系の映画がお好きな方、実話をもとにした映画がお好きな方におすすめな映画でした。