妻を失った男のその後の人生を描いた映画『ドライブ・マイ・カー インターナショナル版』。
深み・重さのある魅力的なキャラクターと、感情的と無感情が同居しているような感情表現が印象的な映画で、面白いと言うよりかはすごく良い映画でしたね。
どちらかといえば不倫や夫婦関係をテーマにした映画がお好きな方、考えさせられるヒューマンドラマ系の映画がお好きな方におすすめ!
- 映画『ドライブ・マイ・カー インターナショナル版』の作品情報
- 映画『ドライブ・マイ・カー インターナショナル版』の感想
- 映画『ドライブ・マイ・カー インターナショナル版』の考察
- 映画『ドライブ・マイ・カー インターナショナル版』の関連作品
- まとめ
映画『ドライブ・マイ・カー インターナショナル版』の作品情報
あらすじ
妻/音が無意識に語るストーリーを、彼女本人に後から伝えることを習慣にしていた演出家であり舞台俳優の男性/家福悠介。
今回のストーリーは初恋相手の部屋に空き巣に入る、前世がヤツメウナギの女子高生の話でした。
音を職場まで送迎しながら今回の話を伝える家福は、その後、自分の演出する他人種・多言語が入り交じる一風変わった舞台の現場へと向かいます。
舞台終わり、仕事終わりに観劇に来ていた音が楽屋にやってきて、家福の舞台に興味を持っているからと人気俳優/高槻耕史を紹介してきました。
しかし後日、高槻と音が自宅で行為をしている場面を偶然目撃し、彼が音の浮気相手であることを知る家福。
それを目撃していながら、家福は特に何もせず静かに自宅から離れ…その後も妻に対していつも通りに接していました。
1週間後、いつも通りに音が淡々と脚本を読み上げるカセットテープを聞きながら運転していた家福は、左目の緑内障が原因で事故にあいます。
幸い事故による大きな怪我はなく、今後も運転は可能ということで一安心したものの…後日行われた幼くして亡くなった娘の法要では、妻が車を運転しました。
子供を失った後、新しい子供を持たないという選択をしていた2人は、お互いを思いやり手を取り合い、お互いを愛していることを伝えあいます。
その翌日、家福が仕事へ向かおうとする際、音が「今晩、帰ってきたら話せる?」と言ってきます。
その時は「もちろん」と答えた家福でしたが、その日はずっとぼんやりとして…なかなか家に帰ることができずにいました。
やっとの思いで家に帰ると真っ暗な部屋で音が倒れていて、救急車を呼ぶも間に合わず…そのまま亡くなった音。
葬儀には音の浮気相手である高槻も来ましたが、この時も家福はなにか言うことはせず…静かに挨拶だけを交わしました。
しかしその後、今まで通りに舞台に立つことができなくなった家福。
2年後、家福は音がいた時と同じ車に乗り、今までと同じように妻が吹き込んだテープを聞きながら、俳優ではなく演出家として広島へと向かっていました。
予告動画
動画リンク
映画『ドライブ・マイ・カー インターナショナル版』の感想
魅力的なキャラクター
今作は主人公である家福はもちろんのこと、妻/音・浮気相手/高槻、そしてドライバー/みさきまでキャラクターに深みと重さ、共感しやすさがあって良かったですね。
妻の浮気に気づきながらも見てみないふりをして、妻の亡き後に彼女の浮気相手を自分の舞台に起用する家福の行動は、謎めきつつも理解できるものがあるし…。
浮気する妻/音、浮気相手/高槻も最初こそ「最低だな…」という感情しかなかったけど、観ていく内に理解できる部分があって共感しやすかったです。
それぞれが過去やトラウマを抱えているからこその行動というのが、キャラクターに深みと重さ、そして共感しやすさを与えていて良かったなと思います。
キャラクターの印象としては映画『竜とそばかすの姫』と似ていたかな。
それぞれのキャラクターに過去・ストーリー・トラウマがある感じ、深みと重さがあるがゆえに共感しやすくなっている感じがすごくよく似ていたかなと思います。
ただ竜とそばかすの姫に比べると今作の方が主要キャラクター数が少ないので、よりそれぞれのキャラに対する思い入れが生まれやすかったように感じました。
なので竜とそばかすの姫のような深み・重さのあるキャラクター性が好き、かつ登場人物が少ない映画の方が好きという方に向いている映画だったかなと思います。
ただしR15+の映画で性的な映像・言葉が結構出てきますし、不倫の話が人によっては不快感を与える可能性があるので…そういったのが苦手な方は注意してください。
感情的と無感情の同居
今作はキャラクターたちの中で隠しきれない燃えるような感情と、それを抑えつけて冷静さを装おうとする無感情さが同居しているような感じがすごく印象的でした。
妻の浮気を知りながら黙認し、娘も妻も失った家福。
母親からひどい仕打ちを受け、父親を知らず、故郷も母も失ったみさき。
愛していた女性を失って、自由に生きたからこそ全てを失った高槻。
なんというか感情的になって泣き叫んで喚き散らしてもおかしくない場面で、みんな冷静…というか感情を失っているような感じがあって印象的でした。
でも全ての感情を失っているわけではなく、自分の感情を抑え込んでいるような見ないふりをしているような感じがあって…なんとも言えない切なさがありましたね。
うまく言えないけど舞台ゼリフの読み稽古のときのように、感情を一旦置いておいて言葉だけを自分と他者の脳と身体に刷り込んでいるような感じがする映画でした。
まぁ、最終的にはみんな自分の中の感情と向き合って、自分がどこかに置き去りにしていた感情や自分自身とちゃんと向き合うわけですが…。
感情の揺さぶりと言うか、共感性を重視するような映画という作品でここまで無感情さを感じるのはすごく印象的で斬新でしたね。
そんな無感情さに逆に共感できる節もあって、すごく良かったです。
良い映画だった
キャラクターそれぞれに重さがあるし、それぞれに関係性・ストーリー・過去があって…視聴後にも満足感のある良い映画でした。
ただ面白いか?と言われると…面白くはないような気がします。
良い映画を観たなという満足感とか、キャラの心情・ラストの結末について考察する余地も残されていて視聴中はもちろんのこと、視聴後も楽しめて良いのですが…。
キャラの行動を許さない人もいるでしょうし、考察をしない方だと「なんだコレ?」で終わりそうだし…刺さらない人には全く刺さらない映画だなぁと感じました。
私はどちらかといえば刺さった側の人間ですが、それでも面白かった?と聞かれると…良い映画だったけど面白くはないかな?となります。
難点は映画時間が長い・性的表現が多い、あと正解が分からないことですね。
考察しても正解にいきつけている確信が持てないと言うか、人によって本当に解釈が変わってくるように感じたので…考察後もスッキリする感じはなかったです。
なのでそういった意味も含めて良い映画だったけど面白いとは言い切れないし、誰にでもおすすめできる映画ではなかったかなと思います。
ただ何か心の内にトラウマを持っている方だと、感じるものがある映画だったのではないかな。
そういった意味では映画『チャーリーとチョコレート工場』に少し通じるものがあるかもしれませんね。
チャーリーとチョコレート工場はコメディテイストではありますが、背景に親子・仕事関係によるトラウマが感じられる映画だったので、似たものがあるかなと思います。
映画『ドライブ・マイ・カー インターナショナル版』の考察
ラストでみさきが韓国にいた理由
ラストでみさきが韓国にいたのは家福から車を譲り受けて、家福きっかけで韓国に興味を持っていたからではないかなと思います。
みさきは北海道から逃げるようにただ車を走らせ、偶然行き着いた広島周辺で渡利という名字が多いということを知り、父親がいる可能性を感じて住み着いていました。
しかし自分と同じように自責の念に悩み無感情になっていた家福と出会って、自身の罪を告白できたおかげで…唯一無二の親友のような父親のような存在を得たのでしょう。
そしてそんな存在を得たことで父親ゆかりの広島という地にいるという、自身への縛りのようなものを解くことができたのだと思います。
だから広島から離れることを決意したのではないかな。
行き先として韓国を選んだのは韓国人と日本人が入り交じる家福の舞台を観たこと・韓国人夫婦との交流・韓国料理を食べたことで興味を持ったからだと思います。
韓国に何かをしに行ったというわけではなく、これからは母親や父親・自分にも縛られることなく自由だという想いから、1番関心のあった場所に行っただけではないかな。
つまりみさきが韓国にいたのは家福との出会いのおかげで自身を広島に縛るものから解放されたから、興味を持っていた場所が韓国だったからではないかなと思います。
家福のその後&家福の車
家福はみさきと出会ったことで自分自身を縛っていたものから解放され、舞台関係から離れることを決意し、彼女に車を譲ったのではないかなと思います。
家福はずっと妻の浮気・喪失から目を逸し自分自身に縛られてきましたが、みさきと出会ったことで真実を見つめ、自身の感情を受け入れることができたのでしょう。
そして娘が生きていればみさきと同い年だったこともあり、彼女のことを自分と同じような境遇を持つ親友であり、娘のような存在と思うようになっていたのではないかな。
だからこそ大切な存在である彼女に、自分の車が好きだと言ってくれた彼女に、ずっと大切にしてきた車を譲ったのではないかなと思います。
家福にとって車は大切な宝物であると同時に妻とドライブし、妻のテープを聞き続けた夫婦の絆であり、しるしのようなもの。
さらにその車でずっと舞台現場まで行っていた、悩み苦しんだ時は車を走らせた…言わば、車は家福の人生と共にあった、家福が生きたしるしでもあったのだと思います。
そんな車をみさきに贈ることで自分が生きたしるしを残しつつ、自分自身を解放する意味合いも込めていたのではないかな。
ただ車を譲ることは、ドライブしながら舞台ゼリフを覚えることを習慣にしていた家福にとって、舞台関係から離れることも意味していたと思います。
家福にとって車に乗ることと舞台に関わることはセットだったから、車を手放した時点でもう舞台から離れることを決意していたのではないかな。
妻を失った日から思うように舞台に立てずにいたけど、最後に思い出の舞台に立つこともできたし…彼の中で踏ん切りがついたというのもあるでしょう。
舞台を離れた後は、家福が車を運転することが好きだったこと・みさきが韓国に行ったことを思うと、広島にある劇場の専属ドライバーを引き継ぐのではないかな。
家福はみさきに車を譲って舞台関係から離れ、みさきは家福に自分の仕事を譲ることでお互いの人生のしるしを交換していたのではないかなと思います。
緑内障のことがあるので生涯運転手というのは難しいかもしれませんが、自分のできるところまで自分らしく自由に生きていくのではないかな。
なので娘のような存在であるみさきに車を譲った家福は舞台を離れ、今後は彼女から広島の劇場専属ドライバーの仕事を引き継いでいくのではないかなと思います。
浮気相手/高槻の真意
おそらくだけど浮気相手/高槻は本当に音のことを愛していたけど、自由でいたい・もっと愛されたいという自分自身の想いに縛られていたのだと思います。
高槻が音を愛していたことも、家福に彼女の影を感じていたこと・愛する人を失った者同士悲しみを分かち合えると思っていたことも、全ては本心でしょう。
音と結婚していた家福が羨ましいというのも、家福が良い夫だろうというのも嘘でもマウントでもなく、裏表もない本心だったと思います。
それでありながら未成年から同業者まで何人もの女性と浮名を流していたのは、自分にない何かを求めずにはいられない、ずっと愛情に飢えていたからでしょう。
音もスキャンダルになった未成年の少女のことも、同じ舞台に立つ韓国人女優のことも…高槻は全員を平等に愛していたと思います。
でもどんなに愛しても愛されても、なぜかずっと満たされない…だからずっとフラフラと愛情をくれる他者を求めていたのではないかな。
そして高槻はおそらくですが縛られることを嫌い、自由でいたいとも思っていたように感じました。
1人の女性に縛られること・写真を撮られること・仕事だからと行動を制限されること…自由を制限する全てを嫌っていたのでしょう。
だからこそ未成年とのスキャンダルが報じられた後、色々と言ってくる事務所を離れてフリーとして活動していたのではないかな。
事務所を辞めてもフリーになってまで俳優業を続けていたのは、多くの人から愛され注目される俳優という仕事を諦めることができなかったからでしょう。
高槻についてはそこまで深く語られていないので何とも言えないけど…家福やみさきに過去やトラウマがあったように、彼にも自分自身を縛る何かがあったのだと思います。
でも写真を撮った男性に暴行を加えて、明らかにやりすぎてしまったことを感じた時…全て終わった、これで全て終われると思ったでしょう。
自分の犯した罪を受け入れて、自分のやったことの責任を取ろうと思ったのではないかな。
それは男性に暴行したことはもちろんのこと、音との浮気のことも含まれていたのだと思います。
だから家福に自分の罪と生きたしるしを、自分が音から引き継いだ何かを引き継いでもらおうと…空き巣少女の話や自分の考えを語ったのではないかな。
なので高槻は愛されたい・自由でいたいという何かに縛られていたけど、事件をきっかけに全てを失ったことで、やっと何かから解放されていたのではないかなと思います。
妻/音が話そうとしていたこと
音が亡くなる前に家福に話そうとしていたのは、自分が浮気していたという自白と離婚しようという離婚話だったのではないかなと思います。
音は音で、家福と同じように娘を失った悲しみ・仕事の苦労・無感情な夫のことで苦悩していたのでしょう。
娘を失った悲しみを一緒に乗り越えようと言いながらも感情を失っている夫、自分を責めることも一緒に悲しむこともしてくれない夫に、音は縛られていたのではないかな。
でも仕事で厳しい局面に立たされた時、夫との行為をきっかけに舞い降りてくるストーリーは手放すことができず…夫から離れることができずにいたのでしょう。
そして自分たちの絆だと、脚本のためにお互いに無感情に行為をする日々。
ずっと悲しくて苦しくて、でも離れられなくて…浮気を繰り返すことで夫からもらえない愛情を補いつつ、夫から離婚を言い出してくれるのを待っていたのではないかな。
でも夫は見て見ぬふりをした…そのことには音も気付いていたと思います。
だから浮気もやめず愛情のない相手と行為しては乗り換えてを繰り返し、離婚することもなく夫と行為をする日々を続けていた頃…音は高槻と出会ったのではないかな。
自分と同じように愛情に飢えている彼、自分を愛してくれる彼に恋心を抱いた音。
しかも身体の相性が良かったことで、夫との行為でしか得られなかったストーリーも舞い降りるようになったのでしょう。
でも付き合う内に高槻は自分のことを愛しているけど、夫と同じように無感情というか…自分だけに愛情を注いでくれているわけではないことに気付いたのではないかな。
もしくは夫と別れるから付き合って・再婚してと言ったら、縛られたくないからと断られた…とかだと思います。
最悪の場合は音が妊娠していて、そのことを高槻に告げたら自分の子供じゃないでしょとか、堕胎してとか言われた可能性もあるかもしれませんね。
でも仕事のため、脚本のために離れられない。
結局は夫の時と同じ…愛されているけど愛されていない、仕事のために行為を続ける日々を繰り返すだけになるのかと、また苦しめられていたのでしょう。
でも娘の何回目かの法要をきっかけに、このままではいけないと夫に話すことを決意したのではないかな。
自分が浮気していたことも、ずっと悩み苦しんでいたことも…全てを話して、別れましょうというつもりだったのだと思います。
そしてその後、浮気相手である高槻にも同様の話をして別れ話をするつもりだったのでしょう。
もう同じことを繰り返さないように、今後は自分の力だけで自由に新しい人生を歩もうと思っていた矢先…命を落とすことになったのではないかな。
だから亡くなる前に音が家福に話そうとしていたことは浮気の自白と別れ話であり、同様の話を高槻にもするつもりだったのではないかなと思います。
前世ヤツメウナギの空き巣少女の話
前世がヤツメウナギの女子高生が初恋相手の家に空き巣に入る話は、無意識下で音本人・家福・高槻をテーマにミックスされた話だったのではないかなと思います。
女子高生である彼女・ヤマガ・空き巣といった登場人物は全て音本人であり、夫である家福であり浮気相手である高槻だったのではないかな。
彼女が音の時、ヤマガは高槻、空き巣は家福。
彼女が家福の時、ヤマガは音で、空き巣は高槻。
彼女が高槻の時、ヤマガは女性全般で、空き巣は不自由。
こんな感じで3人が入り混じっているというか、それぞれが彼女・ヤマガ・空き巣になるようなキャラ・関係性になっていたのではないかなと思います。
ヤマガの部屋と両親
ヤマガの母親という教師の女性は理性・常識といった良識的な感情、ヤマガの父親というサラリーマンの男性は仕事脳といった内面のことを表していたのではないかな。
つまり両親、特に母親のコントロールを感じる部屋というのは仕事や常識に縛られている、自分自身の感情に縛られていることを意味していたのではないかなと思います。
大好きな人がいる彼女は、ヤマガのことを知りたくて性行為という鍵を使って部屋という名の心の内側・肉体に入っていたのでしょう。
相手の部屋に入る時、理性・常識・仕事といった邪魔者はいない…でもその実、部屋にヤマガ本人がいることはない、だから心を通わせる事はできない状態。
でも相手の中から愛の言葉・体液・キスといった何かをしるしとして持ち去り、自分も同じように何かをしるしとして残していきます。
でも脚本のため・悲しみを乗り越えるため・夫婦としての義務・愛されるためだけに空き巣という名の行為をすることは、どこかでダメなことと分かっていたのでしょう。
でも辞められない…彼女はそれを繰り返していればいつかヤマガ側からアクションを起こすだろうと思い、ただその時を待っていたのだと思います。
前世がヤツメウナギ
前世がヤツメウナギというのは、彼女が他者に寄生するように生きることを恐れていた・嫌悪していたことの現れでしょう。
自由でありたかった…でもその反面、他者に寄生しないと自分を縛ったことで痩せ細り、最終的には命を落としてしまいます。
自分はずっと同じことを繰り返していると…その時、やっと気付きました。
部屋に入ってきた空き巣
そんな時、ヤマガの部屋に他の空き巣が入ってきます。
誰かが部屋にやってくることでやっと終われると思ったのに、空き巣は彼女に襲いかかり…彼女はペンをこめかみや首筋に突き立てて抵抗。
ペンを突き立てて抵抗というのは相手に対する愛情のないキス、相手への無言の非難・追い込み、暴行・堕胎の強要といった比喩だと思います。
そうしている内に空き巣は静かになる…これは彼女の抵抗によって、空き巣の感情や命が失われている現れでしょう。
おそらくだけど高槻の危うい凶暴性、過去に女性に堕胎を強制している可能性に、音は気付いていたのではないかなと思います。
そして家福ならば浮気相手が俳優の高槻だと分かれば、自分の立場を利用しつつ相手側に何がしかの接触をすると分かっていたのでしょう。
ヤマガの部屋に空き巣の遺体が転がっている状態は、みんなが色々なことを知っているのに、誰もそのことを口にしない状態のことを表していたのではないかな。
でも見て見ぬふりをしていても、事実は残っている…だからこそ、彼女はヤマガに「私がヤッた」と告げる決心をしたのだと思います。
自分自身の罪悪感や縛りから解放されたいから。
こんな感じで彼女・ヤマガ・空き巣といった登場人物は全て、音・家福・高槻の3人の人物をモデルにしている話だったのではないかなと思います。
映画『ドライブ・マイ・カー インターナショナル版』の関連作品
結構設定が変わっているものの大筋は同じなので、キャラクター、特に家福への理解を深められるように感じました。
個人的には小説冒頭の、今作をつくるに至った経緯を書いた「まえがき」が興味深くて好きでしたね。
ストーリーは好み別れそうですが、キャラクターが魅力的で今作と通じるものを感じました。
ファンタジーっぽい世界観とコメディが印象的ですが、その背景に考えさせられる要素がある映画です。
トラウマを持ったキャラクターとか、家族について考えさせられる点が今作と似ていたかなと思います。
まとめ
話題作ということでどんな映画なのかな?と期待半分・不安半分で観ましたが…想像以上に満足感・見応えのある映画で良かったです。
考えさせられるヒューマンドラマ系の映画なので、面白いか?と聞かれるとうーん…って感じではありますが、魅力的なテーマが印象的な良い映画でした。
どちらかといえば不倫や夫婦関係をテーマにした映画がお好きな方、考えさせられるヒューマンドラマ系の映画がお好きな方におすすめの映画です。