恐怖の村シリーズの第2弾となる映画『樹海村』。
富士の樹海×ネットで有名な怖い話を組み合わせたテーマ、耳からじわじわとくる恐怖感が魅力的な映画でしたが…考察次第な節が強いので、好みは分かれそうでしたね。
どちらかといえば自分なりの考察を楽しめる考察好きな方、考察要素の多いB級映画がお好きな方におすすめ!
映画『樹海村』の作品情報
あらすじ
家族を拒絶し、ネットでオカルト情報ばかり集めている少女/天沢響。
ある日、幼馴染/阿久津輝と妊娠中の片瀬美優が結婚を機に引っ越すということで、輝に密かに想いを寄せている姉/鳴と共に引っ越しの手伝いにやってきます。
しかし響が手伝わずにある1点を見つめていると…興味を持った輝が、そこから風呂敷に包まれた謎の箱を引っ張り出しました。
響は「触ってはいけない」と阻止したのですが、引越し先の大家/小宅はその箱を処分すると持ち帰ろうとして…トラックに跳ねられて命を落としてしまいます。
さらに後日…響が視聴・コメントしていたネット配信者/アッキーナが、富士の樹海に入ったまま失踪した事件について話を聞きたいと警察が家にやってきました。
その夜、そのことについてアッキーナのファンで集まってネット通話をしていると、アッキーナを探しに樹海に行こうという話になるのですが…。
響のパソコンが突然ノイズを発し、富士の樹海に関する画像が画面いっぱいに広がるという恐怖現象が起こった直後、すぐ近くで赤ん坊の声が聞こえました。
そのことで美優の危機を察知した響は、鳴を連れて急いで病院に向かうのですが…残念ながら子供は助からず。
これはなにかあると思った響たちは、同じく幼馴染で住職の息子/鷲尾真二郎の寺を訪れて箱について相談し、お祓いをしてもらうことにしたのですが…。
予告動画
動画リンク
映画『樹海村』の感想
【面白ポイント】
- 耳からくる恐怖感
- 魅力的なテーマ
- 考察次第な映画
耳からくる恐怖感
今作は映像というよりも耳からくる恐怖感みたいなものが結構強くて、邦画ホラーらしい不安になる恐怖感で良かったですね。
BGM・ノイズ・赤ん坊の声・自然音・無音までも、なんともジクジクゾワゾワくるような恐怖感がありました。
冒頭で大家/小宅がトラック事故にあった時には、また映像にインパクトをもたせるタイプの映画なのかなと思っていましたが…。
以降は映像による恐怖演出もあることにはあるけど、基本的には音で恐怖を煽ってくるような印象が強かったです。
何というか日常生活で当たり前に耳にするような音が怖くなるような演出が多くて、個人的には恐怖感も感じられるし好きでしたね。
印象としては映画『予言』に少し似ていたかな。
何かが引きずられている音・トラックに跳ねられた時の衝撃音・紙が突然窓に張り付く音に恐怖する感じとか…インパクトのある音に恐怖する感じが似ていましたね。
あと家族関係がちょっと荒んでいるというか、複雑な感じもよく似ていたかなと思います。
ただ予言の方が映像的な恐怖感もあって、それでいてストーリーの面白さもある映画なので…個人的には予言の方が好きかな。
魅力的なテーマ
突如として現れた『コトリバコ』のような謎の箱、樹海にあった口減らしの風習を絡めたテーマはすごく魅力的だったなと思います。
ネットで有名な怖い話と似通った部分がありつつも、オリジナル要素もそれなりに入っていて…ネットの怖い話が好きな者としては魅力的なテーマに感じましたね。
ただ…正直なところ、なんともB級臭が漂う映画でした。
テーマやキャラクターは悪くなかったし、テンポ感も悪くなかったとは思うのですが…めちゃくちゃ面白いか?と聞かれると答えは「否」ですね。
何だろう…何かが足りないのか、要素を詰めすぎたのか原因は定かではありませんが「面白かった」とは言い切れない映画だったかなと思います。
面白くないわけではないけど、めちゃくちゃ面白くはない…そんな映画でした。
印象としてはシリーズ前作の映画『犬鳴村』に近いかもしれませんね。
度々「…ん?」と思ってしまう違和感や疑問があるような、どうしてこうなった…と残念に感じてしまう節がある感じがよく似ていたかなと思います。
ただ個人的には、映画単体で考えると犬鳴村よりも樹海村の方が好きだったかな。
まぁ…犬鳴村を観たのが結構前で記憶が薄れているからとか、シリーズ前作を観ていた分求めるハードルが下がっていたからという可能性もありそうですけどね。
考察次第な映画
今作はどちらかといえば考察次第というか考察が楽しくて、考察することで魅力が生まれるような映画だったかなと思います。
特に呪いの箱について考察するのは、めちゃくちゃ楽しかったです!
あぁだったからこうなのかな、こんな想いがあって生まれた物だったのではないかとか…あれこれ自分なりに考察するのはめちゃくちゃ楽しかったですね。
疑問や違和感が多い分、考察の余地が多かったのは個人的には良かったのかなと思います。
考察次第で結構映画に対する印象や感想が変わってきますし、自分なりに納得することもできたので個人的には満足です。
ただし考察せずにただストーリーを追うだけだと、魅力的な部分はあるものの正直なところ『残念なB級映画』というだけで終わってしまう可能性が高いですね。
考察しないと疑問・違和感があるし消化不良感もあるし、B級臭もするしということで…かなり残念な感想を持つ方が多いと思います。
考察がお嫌いでないのであれば…ぜひとも自分で考察してみたり、他の人の考察を調べたりしてもらいたい映画でしたね。
映画『樹海村』の考察
【考察ポイント】
- 配信者/アッキーナの最期
- 樹海おじさん/出口が無事な理由
- 鳴と響の母親/琴音の行動理由
- 病院にいた少年/遼太郎の正体
- ラストの子供/ねねの意味
- 呪いの箱/コトリバコの正体
配信者/アッキーナの最期
配信のために樹海に入った配信者/アッキーナは樹海村の領域に入り込んでしまったために、呪いの影響を受けて命を落とすことになったのだと思います。
アッキーナは本来であればコトリバコとは何の関係もない、たまたま樹海にやってきただけの人物でした。
しかし樹海を心霊スポットとしか見ておらず、恐怖心もなく自分勝手に奥地に入り込んだために樹海村に迷い込んでしまい、呪いを受けてしまったのだと思います。
そして樹海村に囚われている亡霊を追いかけたことで捕まってしまい、遺体は木に絡みつかれ、魂は樹海村の一部として取り込まれてしまったのでしょう。
つまりラストで現れたアッキーナは亡霊で、樹海村に近づいた人間やコトリバコの関係者を仲間に引き込むために利用されている存在だったのだと思います。
アッキーナのファンもおそらくは同じで、アッキーナを探す内に樹海村に入り込んでしまったために樹海村の一部として取り込まれたのでしょう。
響は樹海村に入り込む前にファンたちと離れたからなんとか無事に逃げられたけど、ファンたちは樹海の奥に入りすぎてしまったのではないかな。
なので配信のために樹海に入った配信者/アッキーナは、コトリバコではなく樹海村に近づいたために呪われて取り込まれ、命を落としていたのではないかなと思います。
樹海おじさん/出口が無事な理由
樹海の巡回をしたり自ら命を絶たんとしている人々を止めている男性/出口が無事なのは、樹海の怖さを知っていて奥地に入り込まないからではないかなと思います。
アッキーナや輝たちは樹海のことを心霊スポット程度にしか考えておらず、怖がることはあれども恐れたり危機感を持つことなく奥地に入り込んでいました。
それに対して出口さんは樹海の風習のことを知り、自ら命を絶たんとする人が後をたたないことから樹海の恐ろしさを知っていたのでしょう。
だからこそキケンな場所には入り込まない、ルートを外れすぎないと常に樹海を恐れ、危機感を持っていたからこそ今まで無事だったのではないかなと思います。
あとは生気のある人とそうでない人を見分けられるようになっていて、樹海村の亡者に騙されることがないからというのもあったかもしれませんね。
鳴と響の母親/琴音の行動理由
おそらく姉妹が呪いの箱に触れてしまったと思った母/琴音は、義理の母/唯子に相談した上で樹海村に呪いを返しに行ったのではないかなと思います。
そもそも鳴や響の暮らしていた天沢家に呪いの箱があったのは、偶然ではなかったのではないかな。
おそらくは昔からあの地に暮らしていた天沢家は、その昔樹海に生贄を出していた一族だったから樹海村の呪いを受けてコトリバコが家にやってきていたのだと思います。
そのことを知っているのは先祖代々からの話を伝え聞いていた、琴音にとっては義理の母・姉妹にとっては祖母にあたる唯子だけだったのでしょう。
ただ響に霊能力があったように、琴音にも霊能力があったから…箱の由来は分からずとも、触れてはいけない禍々しさは瞬時に理解していたのだと思います。
だからこそ「これはマズイ」と思った琴音は義理の母/唯子に事情を説明・相談し、天沢家が樹海村からの呪いを受けていることや樹海村のことを聞いたのではないかな。
そして呪いを解くためには樹海村まで返しに行くしかないと聞き、姉妹を連れて樹海村まで行くことを決意したのだと思います。
姉妹を連れて行ったのは、触れた者が直に樹海村に返しに行かないと意味がないからでしょう。
響は触っていないのですが、幼い子供の場合は嘘を付いてしまう可能性もあるから…念の為、2人共連れて行ったのでしょうね。
そしてなんとか樹海村に箱を返すことができたのですが、樹海村の亡者がすがるように追いかけてきて…それから逃げる内に穴に落ちてしまったのだと思います。
姉妹が樹海村の近くに留まっていると亡者に捕まってしまうと思った琴音は、姉妹だけで逃げるように告げて…そのまま穴で命を落としてしまいました。
だからその後の琴音は樹海村の一員にはなっていたわけではなく、ただ樹海で命を落として幽霊になっただけの存在だったのでしょう。
しかし鳴を助けるために自らの薬指を切り落とし…娘の代わりに樹海村の一員になったのではないかな。
つまり姉妹の母/琴音は、生前は義母/唯子から聞いた話を元に樹海村に呪いを返しに行き、亡き後は鳴を救うために薬指を切って樹海村の一員になったのだと思います。
病院にいた少年/遼太郎の正体
病院にいた舌なめずりをしていた少年/遼太郎は、前作の映画『犬鳴村』に登場していた少年と同一人物だと思います。
名前が一緒ですし、彼も病院にカウンセリングを受けに通っていましたからね…おそらくあれからずっとカウンセリングに通い続けているのでしょう。
輝とすれ違った際に犬のような唸り声を上げていたのは、遼太郎の内に潜む『犬鳴村の呪い』が輝の呪いに反応していたからだと思います。
遼太郎の呪いも血族に染み付いたものでしたから、輝の箱の呪いに似通ったものを感じて反応して唸っていたのでしょう。
なので病院にいた舌なめずりをして唸る少年/遼太郎は、前作の映画『犬鳴村』に登場していた遼太郎と同一人物だったと思います。
ラストの子供/ねねの意味
鳴の手によって樹海村に返された呪いの箱は、響という新たな仲間を手に入れた後に天沢家を離れ、新しい呪いの対象となる一族のもとへやってきていたのだと思います。
エンドロール後で幼い子供/ねねが、響と遊んでいるような言動をしていたことを思うと…。
おそらく呪いの箱の一部となった響はアッキーナたちのように箱に利用されて、対象者を箱の元へと導くように命令されていたのではないかな。
でも箱の一部になろうとも自我を残している響は、新しい被害者を出したくないから「こっちに来ないで」と拒絶していたのではないかなと思います。
輝や美優と違って自我を残しているのは…生前に幽体離脱をしたり霊を見たり会話したりする霊能力があったからかな。
もしくは呪いによって強制的に命を落としたのではなく、最終的には樹海村の一員になることを受け入れていたからということも影響しているのかもしれませんね。
ただ自我があろうとも箱の呪いに完全に抗うことはできないから、呪いの対象となる一族を仲間に引き入れるために響も協力させられていたのではないかなと思います。
呪いの箱/コトリバコの正体
呪いの箱/コトリバコは口減らしにあった樹海村の人々の「捨てないで」「ずっと一緒にいたい」という悪意なき想いが込められた物だったのではないかなと思います。
捨てた人たちに対する恨みではなく、もともとは悲しい・寂しいとかそういう想いが込められていたものだったのではないかな。
輝や美優など箱の呪いによって命を落とした人々を樹海村の仲間に引き入れていたことを思うと、彼らの目的は命を奪うことではなく仲間を増やすことにあるのでしょう。
仲間というか…家族ですね。
箱の元になった人たちは肉体的・精神的に欠損している部分があると判断されて、口減らしにあっていた人たちでした。
だから何というか口減らしにあうことも、どこか致し方のないことと受け入れている節があったのではないかなと思います。
私も通院したり悩んだりという経験があるので…捨てられても文句は言えないと思う気持ちは分かる気がするんですよね。
時代的に働かざる者食うべからずという思考が強いでしょうし、今ほど福利厚生が豊かな時代ではないですから…。
ただ本心では「捨ててほしくない」「家族とずっと一緒にいたい」「寂しい…悲しい…」という想いはあったことでしょう。
だから呪いの箱/コトリバコとはもともとは樹海村の人々の「捨てないで」「ずっと一緒に」「寂しい」という想いから生まれたものだったのではないかなと思います。
薬指を切る理由
薬指を切って箱に集めていたのは、家族とのつながりを示す薬指を切り落とすことで「これからは樹海村の住人が家族」という契りを交わしていたのだと思います。
樹海村の人々は家族を求める『寂しい・悲しい』という想いの強い集団だったから、自分たちで新しい家族になろうとしていたのでしょう。
しかし彼らは血を分けた兄弟でもない、見た目も内面もバラバラな他人の集団でした。
そんな他人の集まりを1つの家族としてまとめるために、指を切り落として家族の証をつくっていたのではないかなと思います。
名字や血に縛られない、されどもひと目で分かる家族の繋がりをつくっていたのかもしれませんね。
あとは昔には『指切り』という風習もありましたから、口約束以上に強力な契りであることを示すために薬指を切っていた可能性も。
理由は色々考えられますが、少なくとも薬指を切っていたのは『樹海村の人間が家族』という契りの証からだったのだと思います。
呪いになった原因
悪意なき純粋な想いの集まりだった箱が呪いの箱になってしまったのは、『コトリバコ』という箱によく似た怪談が有名になってしまったからだと思います。
恐ろしい呪いで家人の命を奪うコトリバコと、樹海村の箱は似た形式を取っていたために同一視されてしまったのでしょうね。
さらに樹海は心霊スポットとしてどんどん有名になってしまうし、多くの人が遊び半分に入り込むことも多くなった。
そして樹海村に入り込んでその場を踏み荒らす人や、箱を気味悪がる人も増えてきていたのではないかな。
そしてそういう人が増える内に…家人を呪う想いなんてなかったのに、呪いの箱だと恐れられ嫌悪されたために、呪いの箱になってしまったのだと思います。
樹海村に近づく人間を呪うのは、俺たちの家に入ってくるなという拒絶の意思からでしょう。
そして箱に込められていた「捨てないで」「一緒にいたい」という想いが変質化し、自分たちを捨てた一族の者を呪って仲間に引き入れる存在になっていたのではないかな。
つまり箱が呪いをもたらすようになったのは、コトリバコという怖い話と箱が樹海村にやってきた人々によって同一視されるようになったためだと思います。
鳴たちが呪われた理由
呪いの箱は『口減らしを行った一族の末裔』と『箱に触った人間』を呪っていて、そのどちからによってその後に樹海村に迎え入れられるかが変わってくるのだと思います。
母が存命の頃に鳴・響の天沢家に箱が置かれていたこと、輝・美優の家に呪いの箱が置かれていたことを思うと、彼らは口減らしを行っていた一族の末裔だったのでしょう。
だから呪いの箱のターゲットになっていて、偶然箱を触れた人とは違ってピンポイントに家に呪いの箱を置かれていたのだと思います。
そして呪いによって亡くなった後は、樹海村の一員として迎えられていたのではないかな。
箱に触った人間、特に箱を処分しようとする人間は呪いによって命を奪われていたのだと思います。
鳴の恋人/鷲尾真二郎が呪いの箱によって命を落としたにも関わらず樹海村にいなかったことを思うと、彼は口減らしを行った一族の末裔ではなかったのでしょう。
ただ箱を父に託して祓おうとしたため、邪魔者として排除されたのだと思います。
そして真二郎の父は呪いの箱を祓おうとしたから、大家さんの小宅さんは箱を処分しようとしたから箱の怒りを買って呪われ命を落としていたのでしょう。
つまり『口減らしを行った一族の末裔』『箱を処分しようとする人間』は箱の呪いを受け、一族の末裔の方だけが樹海村の家族として迎え入れられていたのだと思います。
呪いを解く方法
箱の呪いを解くには樹海村に本人が箱を返しに行くこと、すがりつく亡者に惑わされないことが必要だったのではないかなと思います。
箱を樹海村に返しにいくと、仲間を求める亡者が捨てないでと縋ってくるのでしょう。
琴音が樹海村に箱を返しに行った後、何かから逃げているような様子があったのは縋ってくる亡者から逃げていたのだと思います。
鳴が呪いを返すのに失敗したのは、箱を樹海村に返した後にアッキーナたちについて行ってしまったから。
アッキーナたちは樹海村の呪いに触れて取り込まれた人ですから、鳴を樹海村に連れ戻すための亡者として利用されていたのでしょうね。
なので箱の呪いを防ぐには樹海村に箱を返しに行くだけでなく、すがりつく亡者から逃げ切る必要性もあったのではないかなと思います。
映画『樹海村』の関連作品
あまり怖さはなく、どちらかといえば考察好きな人に向いている映画ですね。
今シリーズの中で1番怖い&面白いと感じた映画でした(シリーズ内比)。
映画の補足として読むのもおすすめです。
小説はちょっと苦手…という方は、チェックしてみても良いかも知れませんね。
まとめ
気になる部分はあれども、個人的にはシリーズ前作の映画『犬鳴村』よりかは面白さが感じられる映画で良かったかなと思います。
ストーリーを追うだけだと「…ん?」って感じですが、考察はめちゃくちゃ楽しかったです!
なのでどちらかといえば自分なりにあれこれ考察するのがお好きな方、考察要素の多いB級映画がお好きな方におすすめな映画でした。