羊から生まれた羊人間と、家族を描いた映画『LAMB/ラム』。
切なさ・狂気が詰まったスタートからラストまで一気に駆け抜けていく映画で、ドロッとしているけど意外とあっさりしていて、観やすさがあったし面白かったです。
どちらかといえば歪んだ家族愛とか人間の闇や狂気が詰まった映画がお好きな方、イヤミスっぽいけどわりとさらっと観やすいような映画がお好きな方におすすめ!
映画『LAMB/ラム』の作品情報
あらすじ
山間で羊飼いをしていた夫/イングヴァル、妻/マリア夫婦。
朝早くから二人だけで小屋の掃除・牧草の入れ替え・羊の出産を補助して、経営は順調そのもの…イングヴァルは幸せと言いますが、マリアは過去に未練がありました。
そんなある日、ある羊が普通とは違った『何か』を出産。
マリアはその子羊を母羊と引き離し、大事そうに抱きかかえて自宅に連れ帰り、嬉しそうに面倒を見はじめました。
さらにインクヴァルは羊小屋の奥に仕舞い込んでいたベビーベッドを出してきて、その子羊をそこに寝かせます。
母羊は子羊を求めて懸命に鳴きますが、マリアは無視して子羊を手放しません。
そんなマリアの様子を見て…インクヴァルは彼女の見えないところで、静かに涙を流していました。
予告動画
動画リンク
映画『LAMB/ラム』の感想
切なさと狂気
羊から生まれた羊人間の子供に娘の名前を付けて、母羊を排除して自分の子供として育てる…なんとも言えない切なさと狂気が詰まったストーリーでしたね。
個人的に一番可哀想だったのは、アダを取り上げられた母羊。
突然山からやってきた羊人間に種付けされて妊娠して、お腹を痛めて産んだ子供を少し変わっているからって人間に取り上げられて…すごく周りに振り回されていました。
子羊を求めて窓際まで来ては、雨の日もずっとメーメー鳴いて…純粋な親子愛を感じたし、すごく可哀想で悲しくて切なかったですね。
印象としては映画『GODZILLA』や『GODZILLA ゴジラ』に似ていたかな。
懸命に産んだ卵を人間の都合で奪われて、切なげに鳴いている親子愛を感じるところがよく似ていたかなと思います。
そんな母羊を…マリアは亡き者にする。
思うところがあるっちゃありますが…なんとも切なさと狂気に満ちたストーリー・言動で、個人的には心惹かれるものがあって面白かったです。
ただ羊・犬などの動物に対しての残酷な描写・血液描写などが多いので、そういったのが苦手な方は注意した方が良いと思います。
まさかのラスト
アダのこれからとか正体とか考えている内に、まさかの本物の父親/羊人間がアダを連れ去るという結末で驚きました。
個人的にはアダは人間なのか羊なのか、人間として育てられたとして、これからどう生きていくのかとかあれこれ考えていたのですが…。
気がついたらあっという間にエンディングの時間になって羊人間が現れて、バンっと全てが奪い去られて終わって驚きましたね。
一応、ストーリーとしてはネタバラシがなされているし、バッドエンドともハッピーエンドとも言い難いイヤな感じが残るイヤミステイストで良かったです。
夫婦にしてみれば子供も夫も奪われて完全にバッドエンドですが、彼女たちだって元はと言えば子供を奪って母親を亡き者にした側の人間ですからね。
自業自得のバッドエンドだったかなとも思います。
アダにとっては父親だと思っていた人を失って、本当の父親と再会できたけど突然今までと違った生活を強いられて…ハッピーエンドとは言い難かったですね。
エンディングの印象としては映画『万引き家族』に似ていたかな。
子供の幸せって親になる人に振り回されるけど、実親といる=幸せなこととは限らないし…子供の幸せって何なのか、考えさせられる感じがよく似ていました。
意外とあっさり
最初は謎が多く、キャラクターの行動は狂気じみてドロドロしている部分もあるけど、最後まで観ると思ったよりもシンプルで意外とあっさりとしていたかなと思います。
マリアの言動はなかなかに狂気じみてドロドロしているし、ラストも全員がハッピーエンドでもバッドエンドでもない終わり方をしていました。
でも問題作と話題になっていた作品の割には、あっという間に時間が過ぎて、パッと終わったなという印象でしたね。
個人的にはアダがもっと大きくなって、自分と人間の姿が違うことをどう捉えて、どう変化していくのかまで描かれると思っていたのですが…。
そこまで語られることがなかったためか、思っていたよりも闇深さというかストーリー的な残酷さはそこまでなかったかなと思います。
みんながみんな、自分の子供を求めていた…それ故に他者から子供を奪って、子供はたらい回しになっていた。
キャラの心情・ストーリーの結論はそんな感じで、とてもシンプルだったように思います。
なのでイヤミスっぽいドロドロした人間の闇や狂気はしっかりとあるものの、観終わってみるとそこまで心に粘っこく残るものはなかったかな。
印象としては映画『セブン』に似ていたかなと思います。
人間の闇が詰まってドロドロしているけど、観終わってみればきれいにまとまっていて、意外とあっさりしていたなと感じる部分がよく似ていたかな。
映画『LAMB/ラム』の考察
ラストの意味
ラストではアダの本当の父親である羊人間が、アダを取り戻すために父親/イングヴァルを亡き者にして、アダを連れ去ったのではないかなと思います。
アダの父親/羊人間の正体
ラストで現れた頭が羊で身体が人間の羊人間はアダの父親であり、山の奥深くで暮らす羊とも人間とも違った、知能ある種族の生き物だったのではないかなと思います。
種族といっても、もう羊人間は彼しか残っていないのではないかな。
おそらくは昔はもっと多くの羊人間がいたのでしょうが、人間の山への侵食による住処の減少・食べ物の減少・討伐などにあって、数を減らしていたのだと思います。
そしてついに羊人間は彼1人になってしまい、繁殖するためには人間か羊と交尾するしか選択肢がなかったのでしょう。
その二択で羊の方を選んだのは、人間相手だと出産に時間がかかる・騒ぐ・問題になって山狩りが行われるリスクがあったからではないかな。
羊ならば種付けだけして逃げ、衣食住が整った場所で安全に出産してもらって、子供が生まれたら迎えに行くだけで済みますからね。
人間相手に交尾するよりかは、問題が大きくならないと考えたのでしょう。
つまり羊人間は種族唯一の生き残りなため、繁殖をするためには羊と交尾するしかなかったから山から降りてきていた存在だったのではないかなと思います。
羊人間の目的
羊人間は母羊が子供を産んでくれたら連れ去って、羊人間の仲間として一緒に山で暮らすつもりだったのだけど、マリアたちと子供を見て様子見していたのだと思います。
おそらく元々は繁殖目的で山を降りてきて、山間で見つけたマリアたちの羊小屋の中にいた母羊に種付けして、子供が生まれたら連れ去るつもりだったのでしょう。
けれど予想外なことに、マリア夫婦がアダのことを自分の娘として自宅の方に囲ってしまって、連れ去ることができなくなったのだと思います。
家に侵入すると、自分の痕跡を残しかねない・3対1だと不利・仲間を呼ばれる可能性などがあって、手を出せずにいたのでしょう。
けれど犬や猫が度々外を警戒していたことを思うと、ちょこちょこ様子を見に来ては連れさるタイミングを伺っていたのではないかなと思います。
ただ個人的にですが、羊人間は絶滅が近い種族の自分と過酷な山で暮らすよりも、両親が揃った場所で人間として暮らす方が幸せかもと考えていたのではないかな。
アダの周りに人間がいて状況的に連れ去ることができないというのもあったけど、アダの幸せのことも考えて、手を出さずにいたというのもあるのではないかなと思います。
夫/インクヴァルが撃たれた理由
羊人間が夫/インクヴァルを撃ったのは、アダを連れ去るため・連れ戻されないようにするため・父親は2人もいらないと考えたからだと思います。
そもそもあのタイミングでアダを連れ去ろうと思ったのは、マリアとペートゥルが一緒にでかけているのを見て、アダを置いて出ていったと思ったからではないかな。
マリア夫妻はアダを愛している・両親が揃った場所で暮らした方が幸せだと思ったからこそ、アダに手を出さずにいたのに…。
マリアとペートゥルがアダを置いて一緒にでかけているのを見て、不倫の末に家を離れたと考えたのではないかな。
残るのはインクヴァルだけ…父親だけでアダを育てるのであれば、それは自分でも良いだろうと、今まで抑え込んでいた願望や孤独が溢れ出したのでしょう。
だから羊人間がインクヴァルを撃ったのは、アダを連れ去る時に邪魔をしないように・連れ戻しに来ないように、そして父親を自分だけにするためだったのだと思います。
羊人間/アダの正体
アダはラストに現れた羊人間とメス羊との間に生まれた子供で、羊でも人間でもなく羊人間という種族の生物だったのだと思います。
頭と片腕は羊、身体のほとんどは人間のアダ。
父親である羊人間は頭が羊・身体は人間と、両腕とも人間の状態だったことを思うと、アダは羊人間ではあるものの、羊の血が濃くなっていたのかもしれませんね。
だから生まれた時は、身体こそ変わらないものの内面はただの羊だったと思います。
母羊のことを母親だと認識していたし、幼い頃はメーメーと羊らしく鳴いていましたからね。
けれどマリアたちに人間の子供として育てられていく内に、知能を付けて人間になっていき、羊としての鳴き方もすっかり忘れてしまったようです。
頭が羊なので人間の言葉を話すことはできませんが、人間の言葉を理解していたし、ボディーランゲージでコミュニケーションも取れていたのでしょう。
でも最終的には羊人間に連れ去られて…これからはまた人間であったことを忘れて、羊人間として生きていくのではないかなと思います。
アダの名前の由来
アダの名前は、マリア夫婦が亡くした娘さんの名前と全く同じになっています。
子供がいないのにベビーベッドを残していたこと、お墓にアダの名前があったことを思うと、マリアたちにはアダという名前の娘がいたけど幼くして亡くしたのでしょう。
だからこそマリアは羊人間のアダを贈り物と言って、自分の子供として育てようとしていた…亡くしたアダが帰ってきたと考えていたのだと思います。
そしてイングヴァルはそんなマリアの気持ちに気付いたからこそ、思うところがありながらもアダを娘として受け入れたのではないかな。
でも本当のアダへの申し訳無さ、マリアの心の傷を癒やしてやれなかった自分の不甲斐なさ、久しぶりに見たマリアの母の顔を見て、一人涙を流してもいたのでしょう。
ただ2人は羊人間の子供にアダと名付けて、自分たちの娘として育てることで、ここから幸せな家族をやり直そうとしていたのではないかなと思います。
弟/ペートゥルとアダの関係
イングヴァルの弟/ペートゥルは最初アダのことを不気味な羊と思っていたけど、最終的にはアダのことを人間・姪と認識を改めていたのではないかなと思います。
ペートゥルがアダのことを訝しげに見ながらも草を与えていたことを思うと、最初はアダのことを不気味な羊と認識していたのでしょう。
そしてそんな不気味な羊を娘として育てているマリア夫婦のことを、子供を亡くした悲しみから、おかしくなってしまった可哀想な人達だと思っていたのではないかな。
だから夫婦に目を覚ましてほしいと、アダのことをこっそりと連れ出して排除しようとしていたのではないかなと思います。
でもアダの目を見る内にその瞳が羊という動物ではなく、無垢な人間の子供だと感じたからこそ…撃つのをやめて、家に帰って一緒に寝ていたのではないかな。
そしてそれからのペートゥルの様子を見ていると、彼もアダのことは姪っ子として受け入れて可愛がっていたように思います。
ただしペートゥルも男なので、女のいない生活に限界があってマリアと関係を持つために、アダの母親のことを引き合いに出したりはしていましたが…。
ただ最初こそアダのことを不気味な羊と思っていたものの、最終的にはアダのことを少し変わった人間の子供・姪っ子だと認識を改めて可愛がっていたとは思います。
妻/マリアが見た羊の夢の意味
マリアが度々大量の羊がいる夢を見ていたのは、いつか羊が自分からアダのことを奪うのではないかと恐怖していたことを意味していたのではないかなと思います。
マリアはアダのことを人間として扱っているし、自分の娘として大事に育てていますが、心の奥底では、アダは羊の仲間でもあると思っていたのでしょう。
だからこそ母親として、やっと取り戻した娘をまた奪われるのではないかと怯えて、羊の夢を頻繁に見ていたのではないかなと思います。
あとはマリアがアダの母羊を手に掛けたことも、悪夢をみる要因に繋がっていたのかもしれませんね。
人間に子供を奪われた母羊のように、自分も羊に子供を取られるのではないかと常に怯えていたのではないかなと思います。
マリアが母羊を手に掛けた理由
マリアがアダの母羊を手に掛けたのは、アダのことを自分の娘にすると決めたから…自分から子供を奪おうとする存在を排除するためだったのだと思います。
マリアは人間のアダを、本当の娘を1度亡くしていました。
なぜ亡くしたのかは語られていませんが、お墓参り・残るベビーベッド・羊人間にアダと名付けて娘として育てていたことを思うと…。
自分の娘を亡くしたことは、マリアの心に深いキズを残していたのでしょう。
1度娘を亡くしているからこそ、もう二度と娘は離さない・奪わせないと決意…その結果、アダを求める母羊を排除することにしたのだと思います。
マリアにとっては母羊がアダのことを求めて付きまとうのも、アダが母羊の鳴き声に答えてメーメー鳴くのも心中穏やかではなかったのでしょう。
自分から娘を奪わせないため・アダにとっての母親を一人にするため、アダを自分だけの娘にするために邪魔になる母羊を手に掛けたのではないかなと思います。
犬が命を奪われた理由
マリア家の犬は牧羊犬として、羊小屋に近づく羊人間を追い払おうと吠えかかったものの、羊人間の反撃にあって命を落としたのではないかなと思います。
基本的にあの犬は羊や羊小屋にさえ近づかなければ、特に攻撃的になることはなかったのでしょう。
しかし羊人間が、インクヴァルを亡き者にするために羊小屋にある武器を奪いに侵入したために犬は吠えかかったのですが、反撃にあって命を落としたのだと思います。
映画『LAMB/ラム』の関連作品
もう一つのゴジラの物語、違った世界線でのゴジラをお求めの方におすすめ。
敵として登場するムートーがめちゃくちゃ可哀想で、泣けます。
子供の幸せってなんだろうと、考えさせられる映画です。
人間の闇が詰まりながらも、きれいにまとまった映画がお好きな方におすすめ。
まとめ
人間の闇とか親子愛とかが詰まりつつ、子供の幸せについて考えさせられる部分もあって…設定もストーリーも面白い映画でした。
人間の闇とかバッドエンドっぽい結末でありながらも、後味は意外とあっさりしていて、思っていたよりも観やすさのある映画でしたね。
なので歪んだ家族愛とか人間の闇や狂気が詰まった映画がお好きな方、イヤミスっぽいけどわりとさらっと観やすいような映画がお好きな方におすすめな映画でした。