ボクシングを通じて知り合った人々の人生を見守る映画『ミリオンダラー・ベイビー 』。
ボクシング映画というだけでは語りつくせない重さ・暗さ・後味の悪さが残るストーリーで、考察をしても楽しめる多くの魅力が詰まった映画になっていました。
ストーリーが魅力的だからこそ後味が悪くなっている映画をお求めの方、ボクシングに詳しくない… と視聴を悩んでいる方にもおすすめの映画です!
映画『ミリオンダラー・ベイビー』の作品情報
あらすじ
赤字まみれの小さなボクシング・ジムを営む老トレーナー・フランキー。
トレーナー兼マネージャーとして次世代のチャンピオンを育てていたある日、「トレーナーになってほしい」と頼み込んでくる女ボクサー・マギーがやってきます。
その頼みを冷たくあしらうフランキーでしたが、マギーはめげずに彼が運営するボクシング・ジムへと飛び込み、直向きに自己流のトレーニングを始めました。
ジムに住み込みで働く男・スクラップはそんなマギーの素質と根性を見抜き、彼女にボクシングの基礎を教えます。
そんな時、ずっと育てていた大切な選手に突然の別れを告げられたフランク。
気落ちするフランクにもマギーは変わらずトレーナーになってほしいと頼み続け、根負けしたフランクがついに彼女のトレーナーを請け負うことになったのですが…。
予告動画
動画リンク
映画『ミリオンダラー・ベイビー』の感想
【面白ポイント】
- ただのボクシング映画では終わらないストーリー
- 共感しやすい影多き主人公・フランキー
- 切なさと虚しさが残る後味の悪い結末
ボクシング映画で終わらないストーリー
今作はただのボクシング映画というだけでは終わらない、重さ・暗さのあるストーリーやキャラクターがとても魅力的でしたね。
優秀だが人付き合いの下手なトレーナー。
選手に寄り添う元ボクサーの男。
貧乏・年齢にも負けない女ボクサー。
この3人をメインに、映画前半ではそれぞれの背景や心情を描きながら共にチャンピオンを目指していく姿を、後半ではボクシングで変わった人生が描かれています。
個人的には映画後半がやはり好きでしたね。
ボクシングをしていたからこそ知ってしまった悲しみという前半とのギャップが実に切なくて、泣けるものがありました。
そんなストーリー・キャラクターが魅力的な映画なので、ボクシングについて詳しくないという方にもおすすめしたい映画です!
私自身、ボクシングとK-1の違いすら知らないくらいボクシングに疎いのですが、それでも十分に楽しむことが出来ました。
ボクシングについて詳しい方がより深く楽しむことができるとは思いますが、知らないからといって理解できないということはありませんでしたね。
流血シーン・試合シーンがあるのでそういったのが苦手な方には不向きなのかもしれませんが、そうでない方にはぜひとも1度チェックしてみていただきたいです!
影多き主人公・フランキー
過去の出来事を後悔し続けている影多き主人公・フランキーが共感しやすくて、ストーリーにも没頭しやすくなっていましたね。
特に同じ失敗を繰り返さないように今度こそは…と頑張れども、同じ失敗が繰り返されてしまったり、違う失敗が起こってしまう姿が共感しやすかったです。
選手がケガをしないように慎重になっていること。
娘に手紙を出し続けていること。
教会に毎日参加していること。
マネージャーになったこと。
人付き合いが下手なことも相まって、頑張れば頑張るほどから回ってしまっている感じが、何とも切なくて…個人的には共感できました。
今作はそんな後悔から抜け出そうと頑張っているけどカラ回っている主人公に共感できる方、影の多い主人公に感情移入しやすい方におすすめの映画です!
それでもマギーと出会ったことで少しずつ変わり始めていて、とても微笑ましくてこのままハッピーエンドを迎えてほしいなと思っていたのですが…。
何とも後味の悪い結末…
もうすぐチャンピオンというところでマギーは試合中に頸椎を損傷し、全身麻痺になってしまいます…。
彼女の夢が断たれたこと自体も悲しかったのですが、主人公に感情移入していた分、一緒にフランキーの希望も断たれたのが何とも切なかったですね。
さらにそれだけでは絶望は終わらず…2人の希望はどんどん失われていきます。
ボクシングをしていた時には前向きでいられたことが、ボクシングを失ったところに襲い掛かってきたことで…生きる希望すらも失ってしまいました。
そんな絶望が何度も続き…自ら命を絶とうとするマギーの気持ちを汲んで、その手助けをしてしまうフランキー。
彼女亡き後、フランキーはボクシング・ジムも捨てて姿を消してしまいます。
切なさと虚しさと悲しみだけがどんどん押し寄せてくる、少しの希望すらも全て粉砕するような後味の悪い結末でしたね。
イヤミス系の作品とはまた違う、喉の奥がジクジクと痛くなるような…心にずっとモヤが残るような切ない結末でした。
印象としては映画『鑑定士と顔のない依頼人』に似ていましたね。
鑑定士と顔のない依頼人の方がまだ救いがあるのですが、幸せからの残酷なドンデン返しというストーリー展開がよく似ていました。
なので今作はハッピーな映画を求めている人にはおすすめしません。
ストーリーの良さ故にとにかく後味が悪くなっている映画、考察を楽しる映画をお求めの方におすすめな映画ですね…。
映画『ミリオンダラー・ベイビー』の考察
【考察ポイント】
- 選手がフランキーの下を去った理由
- タイトルの意味
- レモンパイ屋にフランキーがいるラストの意味
- 娘・ケイティへの手紙が返ってくる理由
選手がフランキーの下を去った理由
ビッグ・ウィリーがフランキーの下を去ったのは、お金のためだと思います。
もっと言えば家族のためですね。
フランキーはトレーナーとしては優秀なのですが、ボクシング・ジムが赤字まみれなことからも分かるように経営者・マネージャーとしてはお世辞にも優秀とは言えません。
このままではタイトル戦に勝利してチャンピオンになっても、マネージャーの手腕不足で思うようにお金を稼ぐことができなくなってしまいます。
なのでウィリーは優秀なマネージャーを求めてフランキーの下を去り、ミッキー・マックの下へ行きました。
これはフランキーに嫌気がさしたからでも、スクラップに提案されたからでも、ミッキー・マックに勧誘されたわけでもなく…。
ビッグ・ウィリーがお金のために、家族のために、自分で考えてフランキーの下を離れることを決意したのだと思います。
タイトルの意味
『ミリオンダラー・ベイビー』には、100万ドルの娘・恋人という意味が込められているのだと思います。
100万ドルは世界タイトルを獲った時に手に入る賞金のこと。
ベイビーとは娘のような恋人のようなマギーのことですね。
実際には100万ドルは試合が中断されてしまったので手に入れることができませんでしたが…。
あのまま戦っていればマギーが勝っていたはずだと、フランキーもスクラップも思っているので、100万ドルの子というのはマギーを指していると思います。
ベイビーには娘のような子というだけではなく、恋人のような愛する人という想いも込められているのではないでしょうか。
マギーはフランキーのことを父親のように慕っていましたが、フランキーは娘のように想っているけど恋人のように想っている部分もあるのではないかなと思います。
試合前のプロポーズの話の時とか、試合会場に向かう時の乗り物の話の時とか…親子というだけではない、恋人のような愛情を感じたんですよね。
年齢のこと、マギーが自分に父親を重ね合わせていることを知ってか、フランキーがその恋心を告げることはありませんでしたがね…。
個人的には親子のような愛と恋人のような愛の2つが、ベイビーという言葉には込められているのではないかなと思います。
ラストのレモンパイ屋の意味
マギーと里帰りにした時に訪れたレモンパイ屋にフランキーがいたのは、マギーの思い出に浸りながら、マギーとレモンパイを待っていたのだと思います。
フランキーがマギーに詩を読み聞かせていた時、マギーが「あなたの傍らには本とレモンパイ」「(私が)レモンパイを焼くわ」というセリフがあったので…。
フランキーは思い出のあの店で本を読みながら、マギーがレモンパイを焼いてくれるのを待っているのではないかなと思います。
マギーを失ったことでフランキーの精神はすでに壊れかけていると思うので、もうマギーがいないことすらも気付いていないのではないでしょうか。
もしくはフランキーの中で、マギーはずっと彼の側にいるのかもしれませんね。
そしてあの思い出の店でレモンパイを食べて、一時の平穏な日々を暮らすのではないでしょうか。
どちらの意味だとしても、実に悲しいラストですね…。
娘・ケイティへの手紙が返ってくる理由
娘や家族と疎遠になっているからという可能性もありますが、もしかしたらフランキーの娘・ケイティはすでに亡くなっているのではないでしょうか。
マギーが「家族は?」と聞いたときに、フランキーは「いない」と答えていましたが「娘はいる」と言っていました。
その明らかに矛盾している答えを考慮すると、フランキーは家族を亡くしたことは認識しているけれど娘を亡くしたことについては理解できずにいるのではないでしょうか。
正確には理解していたのですが、あまりにも悲しすぎる現実から目をそらすために忘れてしまったのではないかなと思います。
ここからはほとんど妄想ですが…。
毎日教会に通っているのは、実は妻と娘の冥福を祈るためでした。
しかし家族を失った悲しみを癒すことはできず、その苦しみを神父様に相談したら「娘への手紙を書こう」と提案されたのではないでしょうか。
日々のこと・謝罪・これからのことなどを書いた娘への手紙を渡してくれたら、神の下にいる娘さんに届けると。そうしたら少しは気分も晴れるだろうと…。
そしてフランキーは神父様の助言もあって娘への手紙を書き始めたのですが、精神的に疲れ切っていたフランキーは娘が亡くなっていることを忘れてしまいました。
娘が亡くなっていることを忘れたフランキーは、娘への手紙を届けようと手紙を郵便で出すのでしたが…それが届くことは永遠になく、ずっと返却され続けてしまいます。
だからフランキーは娘に届かない手紙をずーっと出し続けているのではないでしょうか。
普通、手紙が返却されたら住所が間違っているかもと思って送るのをやめるはずですからね。
そういった発想もなく送り続けているのは、やはり精神がまいって忘れているものの、心のどこかではもう娘がいないことを分かっているからなのではないかなと…。
そして娘への手紙を提案した神父様は、フランキーが全然手紙を渡してこずにふざけた質問ばかりを繰り返すから、少し苛立っているのかなと思います。
神父様はフランキーが病んでいることなど知る由もありませんから…。
さらにマギーがフランキーに亡き父を重ねていることを思うと、フランキーもマギーに亡き妻・娘を重ねている方がバランスとが取れるかなと。
なので個人的にはケイティへの手紙が返ってくるのは、ケイティがすでに亡くなっているからなのだと思います。
映画『ミリオンダラー・ベイビー』の関連作品
幸せとどん底が交互にやってくるような作品がお好きな方におすすめです。
まとめ
最初はボクシングをテーマにしたスポ根映画だと思っていたのですが、暗く・重いストーリーと後味の悪い結末で、良い意味で想像を裏切ってきて驚きましたね。
さらに考察をすることでもっと後味が悪くなるようになっていて、個人的には視聴中から視聴後まで楽しむことが出来て大満足でした!
ストーリーが良いからこそ後味が悪くなっている映画がお好きな方、考察がお好きな方におすすめの作品です。
ボクシングについて詳しくない方にもおすすめなので、興味のある方はぜひチェックしてみてください!