謎めいた遺体から始まる怪奇現象を描いた映画『ジェーン・ドウの解剖』。
考察の余地を残した謎めいたストーリーを楽しみつつ、ホラー映画らしい恐怖演出までしっかりと楽しめる映画で面白かったです。
どちらかといえばストーリーもホラー演出も楽しめるホラー映画をお求めの方、自分なりのラストを楽しむ考察好きな方におすすめ!
ただ猫が亡くなるシーンがあるので、動物好きな方やそういったシーンが苦手な方は注意してください。
映画『ジェーン・ドウの解剖』の作品情報
あらすじ
父親/トミーの営む遺体安置所で働く青年/オースティン。
毎日のように暗い地下で父親の指導を受けながら遺体解剖を手伝い、遺体が命を落とした原因・状況の究明に努めていました。
そしてかわいい恋人/エマとケンカしつつも、新しい生活を夢見ながら変わらない日々を過ごしていたある日…深夜にも関わらず、新しい遺体が運び込まれます。
その遺体は3人の人間が亡くなる惨たらしい現場の地下で、持ち物はおろか衣服すら身に着けていない状態で見つかった身元不明の美女/ジェーン・ドウでした。
事件の早期解決のために明朝までに遺体解剖を行ってほしいと警察から依頼された2人は、さっそくジェーン・ドウの解剖を始めることにしたのですが…。
予告動画
動画リンク
映画『ジェーン・ドウの解剖』の感想
【面白ポイント】
- 面白くて怖いホラー映画
- 考察の余地を残したラスト
面白くて怖いホラー映画
今作は何も分かっていない謎の状態のまま始まるストーリーの面白さもありつつ、怖さもしっかりとあるホラー映画で面白かったです。
誰が犯人かを究明するのではなく、遺体に何があったのかを追っていくという新鮮な切り口のストーリー展開も、先が読めずドキドキワクワクしながら楽しめましたし…。
ミステリー映画のような空気感を醸し出しながらホラー演出もしっかりと入っていて、ストーリーだけではなくホラー映画としても純粋に面白かったです。
ホラー演出は姿が見えたり見えなかったり、そこにいるのにいないような…ゾワゾワくる恐怖演出で実に怖かったですね。
悲鳴を上げる怖さというよりもジワジワくるような恐怖感がお好きな方だと、この恐怖演出は気に入るのではないかなと思います。
印象としては映画『インシディアス 』の冒頭に似ていました。
インシディアス前半のゾワゾワくる恐怖感、姿は見えないけど何かが迫ってくるのがわかるような恐怖演出がよく似ていましたね。
なのでどちらかといえばストーリーの面白さもありつつ怖い恐怖演出がお好きな方、新鮮な気持ちで楽しめるホラー映画をお求めの方におすすめしたい映画です!
考察の余地を残したラスト
映画内で一応ストーリーの真相が語られているのですが…何とも考察の余地を残したふわっとしたラストになっています。
ストーリーは面白いし、ラストで保安官が突然歌いだす恐怖演出は結構怖く、結局誰も助からないというラスト自体も良かったのですが…。
ジェーン・ドウの謎に関してはふわっとしたまま、何となくの理解度のまま終わってしまっているように感じました。
何というか少しずつ真実に近付いていたはずなのに、突然話がフェードアウトしてしまったような…不完全燃焼がある感じのラストです。
考察好きとしては考察の余地が残されているとポジティブに捉えられますが、映画内でしっかりと完結しているストーリーをお求めの方だと物足りなさを感じるかも。
なので今作はどちらかといえば考察好きな方、自分なりの解釈で映画を楽しむ方におすすめの映画です!
映画『ジェーン・ドウの解剖』の考察
【考察ポイント】
- ジェーン・ドウの正体
- ラストのエマの正体
- ラストの「二度としない」の意味
- あの歌が流れる意味
ジェーン・ドウの正体
ジェーン・ドウは魔女狩りが行われていた時代に、魔女と言われた人々が民衆に復讐するために作り上げた魔女だと思います。
臓器から皮膚まで全体的に拷問の痕跡があったことを思うと、おそらくですが1人の少女を生贄にして生み出したのではなく…。
魔女狩りにあった女性たちの臓器・手足・頭部・皮膚を寄せ集めて、1人の人間として作り上げていたのだと思います。
複数人の生きたいという執念が詰まった存在だったからこそ、側にいる人間を攻撃することで自分の身体を修復して蘇るほどのパワーがあったのでしょう。
攻撃というか、特定の部位のエネルギーを奪い取る・吸収するというイメージに近いかもしれませんね。
父親の手足が折られたらジェーン・ドウの手足の骨折が治り、父親がダメージを追う度に身体の傷がみるみる内に治っていたのも、その執念とパワーのおかげ。
そう考えると身体の内側がボロボロなのに表面上は美しかったのは、遺体安置所に来る前にすでに色々な人を攻撃して表面の傷を修復していたからかもしれませんね。
そしてラストで足がピクっと動いていたことを思うと、オースティンを高所から落としたことで脊髄や神経を修復することに成功したのでしょう。
こうやって行く先々で人々を攻撃することで自分の身体を修復していき、人間の手で魔女にされたジェーン・ドウは、いつか蘇る時を待っているのではないかなと思います。
ラストのエマの正体
父親/トミーの攻撃によって命を落としたエマはジェーン・ドウが見せた幻で、本物は普通に生きていると思います。
映画冒頭でエマは家の横に車を停めていたのに、ラストではその位置にエマの車はなく警察の車が止まっていました。
つまりエマはあの晩、オースティンの家に来ていないのだと思います。
デートをドタキャンされるのは頻繁にあることのようなセリフが映画冒頭でありましたし、レイトショーも行かないんだろうと判断して家に来なかったのではないかな。
停まっているはずの車がないことを考えると、あのエマはジェーン・ドウがオースティンたちを動揺させるために見せた幻だったのではないかなと思います。
ラストの「二度としない」の意味
ラストでジェーン・ドウの遺体を運んでいる車の運転手が、1人で「二度としないよ」と誰かに話しかけていたのは妻か恋人に電話していただけだと思います。
彼の耳にインカムのような物が付いていましたし、おそらくですが突然決まった州外への長距離移動についてパートナーに説明していたのでしょう。
「急だけど仕事だから」「こんなことは今回だけだから」「移送が終わったらすぐに帰るよ」と話していたのではないかなと思います。
話している時に後ろを振り返っていたのは、ジェーン・ドウのせいでパートナーに怒られたと恨めし気な視線を向けていただけでしょう。
つまり全ては偶然。
しかし彼は「二度としない」と約束していますが、車内にあの悪夢のような陽気な歌が流れていたことを思うと、彼はもう無事に家に帰れないのではないかなと思います。
あの歌が流れる意味
ジェーン・ドウがいる場所で流れるあの歌は、彼女が人間に恐怖を刷り込ませて自分のパワーを高めるために流していたのだと思います。
おそらくですが、通常状態のジェーン・ドウは人間に直接干渉できるほどのパワーは持っていないのでしょう。
だから最初はラジオなどの機械に干渉してあの歌を流して人間に恐怖を刷り込み、 あの歌が流れると何かが起こるという固定観念を植え付けたのだと思います。
そしてその恐怖を利用してさらに幻覚・幻聴と干渉する範囲を広げていき、最終的に人間本体を攻撃するほどのパワーを得ていたのではないかな。
あの歌自体はおそらくは生前、彼女たちが好きだった歌か…もしくは嫌っていた歌だったのではないかなと思います。
魔女狩りの時代に「心を開いて明るく照らしましょう」「ニコッと笑って」という歌詞の歌はなかなかに皮肉っぽいですからね。
この歌を嫌っていたからこそ、恐怖を与えるための歌として利用していたのではないかなと思います。
もしくは人間を攻撃して自分の身体を完全に修復できたら、その時には心を明るく笑って過ごしたいという願いのようなものが込められていたのかもしれませんね。
映画『ジェーン・ドウの解剖』の関連作品
姿なき恐怖演出がお好きな方におすすめです
まとめ
ねこちゃんが亡くなってしまうシーンがあるのでもう観ることはありませんが…ストーリー・恐怖感共に面白い映画でした!
ラストがふわっとしているのでキッチリハッキリしたエンディングをお求めの方には不向きかもしれませんが、考察する楽しみが残されていて個人的には好きでしたね。
なのでどちらかといえばホラー演出もストーリーも楽しめるホラー映画がお好きな方、自分なりの考察を楽しめる考察好きな方におすすめな映画でした!