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映画『ブラック・フォン』のネタバレ感想・考察 グウェンとフィニの能力&犯人の目的と動機

ブラック・フォン(吹替版)

 

謎めいた犯人に誘拐された少年の恐怖と戦いを描いた映画『ブラック・フォン』。

 

キャラの癖が強いし、好ましくない表現がされていることもありましたが…ハラハラドキドキなオカルトホラー×サイコホラーな映画で面白かったです。

 

どちらかといえばオカルトホラー×サイコホラーの組み合わせがお好きな方、考察する余地が多く残されている映画がお好きな方におすすめ!

 

 

映画『ブラック・フォン』の作品情報

 

あらすじ

1978年、少年野球でピッチャーをしていたロケット好きな少年/フィニー。

 

けれど街では少年を狙った誘拐事件が多発、家庭内では飲んだくれな父親の顔色を伺い、学校では暴力沙汰…平穏とは言い難い日々でした。

 

少年野球の相手チームだった少年/ブルース・ヤマダも、悪名高い『ピンボール』とあだ名される少年/ヴァンスも…皆、誘拐犯/グラバーに攫われて消息不明です。

 

グラバーの情報は黒いバンに乗っていること、現場に黒い風船が残されていることだけ。

 

けれど明るい妹/グウェンがいて、いじめっ子から守ってくれる友人/ロビン・アレアノがいて…それなりに暮らしていました。

 

そんなある日、誘拐事件についての非公開情報を知っていたグウェンのもとに、事情を聞くために刑事がやってきますが…予知夢で見ただけだと答えるグウェン。

 

けれど警察はグウェンの父にも事情聴取に行ってしまい…夢はただの夢だと、母親のようになるなと叫ぶ父親にひどい体罰を受けます。

 

フィニーはそれを止めることはできませんでした。

 

そしてその夜、大切な友人だったロビンまでもグラバーに誘拐され…フィニーはグウェンに、夢で彼のことを探ってほしいと頼みます。

 

グウェンも神に祈りますが…情報を得ることはできませんでした。

 

守ってくれる人を失ったフィニーはいじめっ子たちから暴行を受けるようになり、グウェンがかばってくれますが…暴力がなくなることはありません。

 

それでも笑って過ごしていた学校の帰り道、フィニーは『アブラカダブラ』と書かれた黒いバンを見かけて…。

 

予告動画


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動画リンク

ブラック・フォン(吹替版)

 

映画『ブラック・フォン』の感想

 

クセ強めなキャラ

今作は子供がメインの映画なのですが、暴力的な子・いじめっ子・不思議な力を持った子など、全体的にかなりクセ強めなキャラになっていたのが印象的でした。

 

力に対抗するためには力が必要というのは分かるけど…時代背景もあってか、全体的に暴力的な言動・描写が多かったかな。

 

子どもたち以外に、フィニーたちの父親はDVタイプだったし…キャラは全体的に濃かったですね。

 

何というか見ていて気分の良いものではなかったし、人によっては冒頭で離脱する可能性もあるくらい…そういったシーンが多かったかなと思います。

 

ただ子供の世界にも人間性というか、そういった残酷さ・嫌な部分・力などがあったのは、キャラクターがたっていて良かったかな。

 

冒頭で子供の名前がかなり登場するので、覚えるのが大変だったけど…覚えていなくてもそこまで問題はない点も、個人的には良かったかなと思います。

 

不穏な街に癖の強い子供たち…何とも心惹かれるものがあって、万人受けはしないと思うけど魅力的な部分もあって良かったです。

 

ハラハラドキドキなホラー

目的が良くわからない連続誘拐犯に攫われたフィニーが脱出しようとするシーンは、ハラハラドキドキするものがあって良かったですね。

 

最初は誘拐犯は誰か推理する系のミステリー映画なのかと思っていたのですが、誘拐された主人公を描いたサイコホラー系の映画で驚きました。

 

それにグウェンの予知夢・鳴るはずがない電話などオカルティックな要素も加わっていて、謎めきつつも惹き込まれるものがあって良かったです。

 

オカルトホラーと現実的なサイコホラーがちょうどよい塩梅で同居していて、ミステリアスかつテンポ感・恐怖演出が盛り上がっていて個人的には好きでした。

 

ただ中盤は本当に訳がわからない状態なので、戸惑うこともありましたね。

 

最後まで観続けていくとハラハラドキドキな脱出劇、ボロボロな被害者たちの霊、黒電話を通しての会話など、面白い展開が続いてすごく良かったです。

 

あと個人的にオカルト要素をチート能力のように使っているのではなく、コントロールできていない力というのが好きでしたね。

 

使いこなせているわけじゃないからこそ、ちゃんとストーリーの魅力に感じられて…すごく良かったです。

 

ハッピーエンド…?

サイコホラー系の映画にしてはハッピーエンドに終わったのかなという印象でしたが、何となく心にもやっとしたものが残るエンディングだったなと思います。

 

一見すると子供たちの無念は果たされ、犯人への復讐も完了・フィニーは脱出とハッピーエンドに見えるのですが…。

 

犯人を手に掛けたことは、個人的にちょっと引っかかるものがありましたね。

 

あんなにも優しくて暴力を嫌っていた子が、最終的には暴力で解決したのが…何となくもやっとするものがありました。

 

もちろん犯人は制裁を受けて当然だし、戦う意思や力が必要、あれはフィニーなりの成長と理解はできるのですが…なんか、それで良かったのかなと思ってしまいましたね。

 

結局は嫌っていた暴力を振るう人になってしまった、いじめっ子や諌めていた友人・父親と同じように暴力で解決する人間になってしまったのが…何とも不安になりました。

 

父親のようにトラウマによって暴力行動に走る人間になってしまうのではないか、いじめっ子たちのように力で他人を制圧する人間になってしまうのではないか…。

 

それにいつか、他者を手に掛けたことが重くのしかかる時が来るのではないかと…何とも、明るいビジョンが見えてこないハッピーエンドでした。

 

何というか物語的にはハッピーエンドだったのだけれど、本当にハッピーなのか?と心にモヤッとしたものが残る独特なエンディングでしたね。

 

映画『ブラック・フォン』の考察

 

妹/グウェンが予知夢をできる理由

妹/グウェンが予知夢という能力を持っているのは、母親がそういった不思議な能力を持っていた人で、その力が遺伝していたからだと思います。

 

グウェンが父親に予知夢の話しをした時、母親も特別な人だった・色々なものを見たり聞いたりする力があったという話があったので…完全に遺伝でしょう。

 

ただグウェンの場合、聞く力は少し弱めで、どちらかといえば『見る力』を継承していたのではないかなと思います。

 

グラバー宅のそばに言ったときにも霊の姿を見ていたり、予知夢でも情景を見たりするのがほとんどで、声を聞くことはあまりありませんでしたからね。

 

ただグウェンは力を完璧にコントロールできているわけではなく、必ずしもどんぴしゃりな夢を見られるわけではないようです。

 

実際、グウェンはフィニーが監禁されている方の家ではなく、被害者たちが埋まっている、マックスが住んでいる家の方を夢に見ていましたからね。

 

つまりグウェンは母親から不思議な能力を引き継いでいたけれど、見る力に偏っている+完璧にコントロールできる力でもなかったのだと思います。

 

フィニーにだけ電話が鳴る理由

被害者の少年たちとつながる電話が鳴るのは、母親の血を引き継いで不思議な能力を持っているフィニーがそばにいたからこそ成し得たものだったのだと思います。

 

妹/グウェンは見る力が強かったけど、おそらくフィニーの場合は逆で、見る力が弱い代わりに聞く力が強かったのでしょう。

 

だからそばに幽霊がいても、声は聞こえても姿を見ることはほとんどなかったのではないかな。

 

けれどこれまた力をコントロールできているわけではないし、霊の声を聞くためには集中が必要だったのだと思います。

 

その集中をさせるために、霊たちは黒電話を利用していたのではないかな。

 

能力者だと気付いていないフィニーを『聞く』動作に集中させるため、怯えないで話をするために、黒電話というツールを介する必要性があったのだと思います。

 

たまに無言電話になっていたのは、おそらくはフィニーの能力がコントロールできるものではなかったため、霊は話しかけていたけど聞こえていなかったのではないかな。

 

電話する子供たちの目的

そもそも被害者の子どもたちが電話を鳴らすのは、フィニーを助けるためというよりも無念・執念・怨念・復讐の意図の方が強かったように思います。

 

あんな奴に理由も分からず命を奪われた、ひどい仕打ちを受けた…それが許せないから、なんとかしてあいつに一泡吹かせたいと考えていたのではないかな。

 

だから言い方は悪いけど、能力者で霊の声が聞こえるフィニーを利用していたのではないかなと思います。

 

子供たちが電話を掛けるのはフィニーに正気を保たせるため・脱出したいという意思を持たせるため・武器を与えるためでしょう。

 

他の子供たちは自分の名前すら忘れていたのに、フィニーだけがずっと正気だったのは電話経由で話し相手がいたから、犯人の暴力を事前に教えてもらって回避できたから。

 

そして子供たちは自分が残したものや心意気をフィニーに伝えて、どちらかといえば日和見主義なフィニーに強い意思や闘争心を与えていたのではないかな。

 

これはフィニーを助けようという優しさ・友情というよりも、自分の代わりに恨みを晴らせという代理戦争というか、復讐心ゆえの行動だったのではないかなと思います。

 

グウェンを家の前で止めたのも、フィニーを助けるためというよりも復讐を完了させるまでの足止め+警察を呼ばせてグラバーをゲームオーバーにさせるため。

 

子供故に純粋で残酷だからこその復讐だったのではないかなと思います。

 

フィニーたちの母親

フィニーたちの母親は不思議な力を持っていた人でしたが、力を完璧にコントロールできていなかったために信者から責められ、自ら命を絶ったのではないかなと思います。

 

父親は母親に不思議な力があったと話すとともに、周囲から頼られるようになってひどい目にあった…そのせいで母親は自ら命を絶ったと言っていました。

 

おそらくだけど周囲から頼られていたというのは、グウェンがフィニーから友人を探してくれと頼まれていたときのような感じでしょう。

 

それがだんだん人数が増えて、信者のようになって…けれど母親の力は完璧にコントロールできないから、頼った人から責められることもあったのだと思います。

 

インチキ・偽物・嘘つき・訴えてやると。

 

父親はその対応でイヤな想いをして、母親はその責め苦に耐えきれなくなり、自ら命を絶ったのでしょう。

 

それが父親にとってはトラウマになっていて、だからこそグウェンの能力をずっと否定して…夢の話をすることも、ひどく嫌って怯えていたのではないかな。

 

母親は不思議な力を持っていたけどコントロールできずに自ら命を絶ってしまったから、子供たちも同じ道にいかないように…と考えていたのだと思います。

 

犯人/グラバーの目的と正体

誘拐犯/グラバーは自分のトラウマを克服するために、誘拐した子どもたちと『ノーティボーイ』というゲームをすることが目的だったのだと思います。

 

ノーティボーイとは

ノーティボーイとは、1982年に発売されたトラップをくぐり抜け、怪物や城を焼き払うアクションゲームのことらしいです。

 

ただ映画の舞台が1978年とゲーム発売前なのに加え、字幕版だとゲーム名が『イタズラ少年』となっているのでゲームとの関係性はないでしょう。

 

ただゲームの内容的には、1982年発売のノーティボーイというゲームに近かったのではないかなと思います。

 

フィニーが何もされなかった理由

フィニーが監禁されているだけでずっと危害を加えられなかったのは、ゲーム開始の合図となる『イタズラ』をしなかったからでしょう。

 

他の子供たちは脱出しようとして色々とやっていたけど、フィニーは子供たちの助言でバレないようにしていたから…ゲームが開始されなかった。

 

フィニーがゲーム開始の合図となるイタズラをしないから、グラバーは彼に危害を加えることができなかったのだと思います。

 

ゲームをするのが目的だからこそ、ルールは順守していたのでしょう。

 

フィニーに名前を教えろと言っていたのも、彼に嘘の名前を言わせるため…嘘をついたことをイタズラと捉えようとしていたためではないかな。

 

これでやっとゲームが始められると思ったのも束の間、フィニーが逃亡。

 

おそらくだけど、グラバーにとって犯人を無視して逃亡することはルール違反…ゲームのリタイアとも言える行為は、許せないことだったのではないかな。

 

だからフィニーだけはナイフでゲームをするのではなく、斧で惨たらしく亡き者にしようとしていたのではないかなと思います。

 

ゲームのレベル

子供を倒すと次のレベルに上がるというのは、誘拐する難易度を上げるということではないかなと思います。

 

個人的な意見だけど、グラバーもイタズラ少年としてこのゲームの参加者だったというか…大人だけどイタズラ少年VSイタズラ少年の戦いだったのではないかな。

 

グラバーはバレないように子供を誘拐する、誘拐する度に難易度を上げると言うか、誘拐する時間・場所・手段などをどんどん難しくしていたのではないかなと思います。

 

例えばひと目のある場所で誘拐する・証拠品を残す・素顔で誘拐するなどなど。

 

対して、子供たちは脱出を試みつつ、最終的にはグラバーを倒すのが目的。

 

フィニーの次のレベルがお気に入りということは、次の誘拐は思い入れのあるシチュエーションで誘拐するつもりだったのではないかなと思います。

 

ゲームをする動機

こんなゲームを繰り返す理由は映画内で語られていないので憶測だけど、自分も過去に誘拐された経験があって、それがトラウマになっているからではないかなと思います。

 

今作は暴力が連鎖していっているような印象があったし…誘拐も連鎖したものだったのではないかな。

 

昔、同じように誘拐されてゲームだと言われたグラバーは、命からがら何とかそこから脱出することができたのだと思います。

 

けれどノーティボーイは脱出ゲームではなく、怪物や城を焼き払うゲームだから…脱出というのはクリアではなくリタイア。

 

そのせいもあってか、グラバーの中で誘拐事件のことはずっとトラウマになっていたのではないかなと思います。

 

そこで自分も誘拐をして、自分の代わりにゲームをクリアしてくれる存在…犯人を倒す存在を待ち続けて、犯行を繰り返していたのではないかな。

 

だからこそ誘拐するのは自分が誘拐された年頃と同じ少年だけ。

 

グラバーは自分のトラウマを壊してくれる存在、怪物と化した誘拐犯を自分の代わりに倒してくれる存在を待ち続けて、犯行を繰り返していたのではないかなと思います。

 

マスクをしている理由

常にマスクをつけていたのは、自分が誘拐されたときの犯人もマスクをしていたから、もしくは自分が怪物になった現れだったのではないかなと思います。

 

フィニーにマスクを外された時、グラバーは明らかに動揺していました。

 

おそらくだけどゲームと同様に、マスクをつけているのにもこだわりというかルールがあったのではないかなと思います。

 

自分が誘拐されたときの犯人もずっとマスクをしていたから、犯人側でいるためにマスクをつけていたかったのか…。

 

もしくは被害者だった自分が、誘拐犯という怪物に成り果てた現れだったのではないかな。

 

素顔の自分は誘拐されたときのままになってしまうから、マスクをつけることで敵側に徹しようとしていたのではないかなと思います。

 

過去の犯人がつけていたから・自分が怪物になった現れだったとしても、おそらくグラバーにとってはマスクを付けている自分が倒されることが重要だったのでしょう。

 

けれど最後に素顔で命を奪われていたことを思うと、彼の望みは叶わなかった…ということになるのでしょうね。

 

兄弟/マックスの居候

犯行現場である自宅に兄弟のマックスを居候させていたのは、警察の目をごまかすため+お助けキャラ的な立ち位置だったのではないかなと思います。

 

そもそもマックスに対しての愛情はあるにはあるけど、助けたい・守りたいみたいな純粋は愛情は別に持ち合わせていなかったのではないかな。

 

強いて言えば、邪魔さえしなければどうでも良いくらいの存在でしょう。

 

でも犯行現場である自宅においておくことで、警察への対応を彼に任せることができるし…彼の奇行が、警察の目をくらませられると考えたのではないかな。

 

そして事件の身近にいる彼が、いつか自分の犯行に気付くことも想定済み…想定した上で、誘拐のレベルが上がることを楽しんでいたのでしょう。

 

つまり兄弟であるマックスをわざわざ事件現場である自宅に居候させていたのは、警察の目をごまかすため+ゲームのレベルを上げるためだったのだと思います。

 

映画『ブラック・フォン』の関連作品

 

ブラック・フォン (ハーパーBOOKS)

 

 
今作の原作となった小説。
映画とはキャラの印象が異なっていて、これはこれで面白かったです。

 

まとめ

 

サスペンス映画かと思いきや、サイコホラー×オカルトホラーな映画で面白かったです。

 

説明不足な部分もあるし、終わり方にもやっとするものがあったけど…そこは考察次第ということで、考察好きには喜ばれるのではないかな。

 

なのでどちらかといえばオカルトホラー×サイコホラーの組み合わせがお好きな方、考察する余地が多く残されている映画がお好きな方におすすめな映画でした。

 

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