湿地を舞台に、1つの事件と1人の女性の人生を描いた映画『ザリガニの鳴くところ』。
魅力的な主人公に惹き込まれるものがあって、涙あり・闇深さあり・ストーリー性・テーマ性ありな映画ですごく面白かったです。
どちらかといえば人間の闇深さがあるイヤミス映画がお好きな方、ミステリアスな謎も含まれたヒューマンドラマ映画がお好きな方におすすめ!
映画『ザリガニの鳴くところ』の作品情報
あらすじ
1969年10月30日、ノースカロライナ州バークリー・コーヴにある湿地で、女たらしな名士の息子/チェイスの遺体が発見されました。
調査の結果、午前0時〜2時の間に火の見櫓から後ろ向きに落下したこと、火の見櫓周辺には足跡も指紋もないこと、チェイスの物でない赤い繊維が見つかったことが判明。
街ではチェイスがちょっかいを出していた、人と猿の中間と忌み嫌われている『湿地の娘』が犯人ではないかと噂され、警察も調査に乗り出します。
そして学者か魔女の家のような彼女の自宅から『赤い帽子』が発見されたことにより、警察は湿地の娘が犯人だと断定…逮捕しました。
街のみんなが湿地の娘が犯人だと罵詈雑言を投げかけますが、物腰柔らかな老いた弁護士/トムだけが「君を助けたい」と名乗り出てくれます。
そんなトムに湿地の娘は語ります…自分自身、カイアの人生について。
絵を描く母の真似をして絵を描いて、元気な兄姉たちと楽しく暮らしていたけれど…高圧的・暴力的な父から逃げるように、母親が家を出ていったこと。
兄姉たちも次々に家を出ていって、歳近い兄/ジョディも母の言いつけ通りに「危なくなったら『ザリガニの鳴くところ』まで逃げろ」と言い残して出ていったこと。
残されたカイアは父親を避けながら暮らしていたけれど、ジョディの友人で心優しい少年/テイトに勇気をもらって、父親と交流を持つようになったこと。
しばらくは父親と穏やかに暮らしていたけれど、ふいに届いた母親からの手紙に激怒した父親が、手紙も母の残した家財道具も燃やして、家を出ていったこと。
それからは雑貨屋を営むアフリカ系アメリカ人/ジャンピンとメイベル夫妻と取引をして生活していたこと、それ以外にも色々と良くしてもらったことを。
…そしてついに裁判開始、検察側はカイアが犯人だと決めつけて死刑を求刑。
弁護士のトムは司法取引をして、一部の罪を認めつつも事故だと主張して情状酌量を求める手もあると語りますが、カイアは無罪か死刑かしかないと裁判に臨みます。
予告動画
動画リンク
映画『ザリガニの鳴くところ』の感想
最初は重めなヒューマンドラマだなというだけの印象でしたが、中盤から終盤は涙あり・結末には闇深さありで想像以上に面白い映画でした。
最初はキス描写・暴力描写・差別描写が多くて、時代背景も相まって何とも重い映画だな…というだけの印象。
けれど見ていく内に主人公/カイアの人生を見守っているような感覚がする映画で、時に微笑ましく、時に注意喚起して、時に応援したくなるような気分になりました。
そして彼女に夫ができて、兄/ジョディとの関係も取り戻して、湿地で年老いて、最期には母親が迎えに来て人生を終える姿は…泣けるものがありましたね。
これは家族関係にトラウマがある方だと、理解してもらえるのではないかな。
それでいて結末にはきっちりと闇深さ・謎を残しつつも、ストーリー性・テーマ性を感じさせる映画で、視聴後に満足感のある映画でした。
視聴後の考察も楽しかったです。
なんというか社会的にはか弱いけれど自然界においてはたくましい女性の人生を観たような、それでいて一種の動物の生き様を観たような感覚がする映画でした。
ただミステリー・サスペンス映画として観ようとすると、前半〜終盤までがほぼヒューマンドラマ系のテイストなので、ちょっと違うと感じるかもしれませんね。
あくまでもカイアという女性の生き様を見守っていて、その裏には闇深さ・秘密がちゃんとあったことに驚く程度の感覚で楽しむ映画だったかなと思います。
映画『ザリガニの鳴くところ』の考察
真犯人・事件の真相
ラストで被害者/チェイスの貝殻のネックレスを湿地の娘/カイアが持っていたけれど、チェイスを亡き者にした真犯人は恋人/テイトだったのではないかなと思います。
カイアが犯人じゃない理由
カイアが犯人だったのだとすると、行動と犯行がかなり乖離しているような気がするので、個人的にはカイアは犯人ではないと思います。
確かにチェイスがまた暴力を振るおうと家まで来たら、手近にあった石で殴り飛ばすつもりでいたようですが…目的は反撃であって、襲撃ではないように感じました。
そしてそんな撃退方法をするつもりだった彼女には、動機・行動力は確かにあったけれど、命を奪うほどの攻撃性・罪を隠す意識はそこまでなかったように思います。
さらにそんなカイアは偶然テイトと会話をするまで、出版社との会食には行かないつもりでいました。
それなのに突然、会食を利用してのアリバイ工作・証拠隠滅・変装なんて回りくどいことをするのは、どうにも違和感があります。
あとネックレスを持ち去ったことも、自分が犯人でございと言っているようなもので…証拠隠滅までした人間の行動としては、矛盾しているかなと。
なのでカイアが犯人だとすると、あまりにも言動と犯行が乖離しているので、個人的にはカイアは犯人ではないと思いました。
証拠となる赤い繊維
証拠となる赤い繊維のもとだと思われる帽子も、テイトがカイアに渡そうとしていたけれど突っ返されていて…最終的に持っていたのはテイトでした。
確かにテイトは寒がるカイアに帽子を渡そうとしていましたが…何度か渡し合いのラリーをして、最終的にはテイト側でラリーが終わっていたように見えます。
つまりカイアは帽子を持っていなかった、帽子を持っていたのはテイト。
またテイトは以前、チェイスと言い争いをして帽子を剥ぎ取られたので、その時に繊維がついた可能性もあるけれど…そこまで長期間付着し続けているのは不自然です。
ということは、犯行の前…事件発生日に付着したものと考えるほうが、自然ではないかなと。
そして事件発生日にあの赤い帽子を持っていたのはカイアではなく、テイトだったのではないかなと思います。
恋人/テイトが犯人説
カイア不在の間に、テイト・チェイスがたまたま遭遇…彼女に暴力を振るうチェイスが許せなかったテイトが尾行→火の見櫓から突き落としたのではないかなと思います。
テイトはおそらく出版社との会食に出かけたカイアのことを想ってか、彼女を襲いに来るであろうチェイスを待ち受けるために、カイアの家にいたのではないかな。
そこにチェイスがやってきて、帽子を剥ぎ取られて…ジャンピンでの店のときのように、口論になったのだと思います。
帽子はこの時に、カイアの家に残されることになったのでしょう。
ただそこでは何かが起こることはなく、おそらくチェイスが「俺はカイアを絶対に手に入れる」とでも捨て台詞を残して、家を後にしたのではないかな。
その言動が許せなかったテイト…ただ力ではチェイスに敵わないから、彼を尾行して亡き者にするスキを窺っていたのだと思います。
そしてカイアに会えなかった・新しい男がいることにしょんぼりしたチェイスは、火の見櫓で黄昏に来ていて、そこをテイトに襲われて突き落とされたのではないかな。
その後、カイアと違って時間がたっぷりとあるテイトは火の見櫓の指紋を拭き取り、火の見櫓を後にしたのでしょう。
つまりカイア不在の間に、テイトが彼女の家でチェイスと遭遇→火の見櫓に向かうチェイスを尾行→突き落とす→証拠隠滅をしたのではないかなと思います。
カイアの持つ貝殻ネックレス
カイアが貝殻ネックレスを持っていたのは、テイトをかばう+捜査撹乱+愛の証として持ち帰ったのではないかなと思います。
おそらくチェイスが亡くなっているなんて露知らず地元に戻ってきたカイアは、テイトの帽子・争った形跡のある自宅を見て、火の見櫓に向かったのではないかな。
テイトに暴力を振るうなと訴えつつ、チェイスと決着をつけるつもりだったのかもしれませんね。
けれど、火の見櫓の下でチェイスの遺体を発見…事故かと思いつつも、脳裏によぎるテイトの顔。
だからチェイスの首元にぶら下がっている貝殻ネックレスを取って、捜査の目がテイトではなく、自分の方に向くように仕向けていたのではないかなと思います。
そして裁判の間、ネックレスは湿地のどこかに隠しておいた。
ちなみに火の見櫓の周りにある足跡を消したのは、カイアの仕業ではないかなと思います。
賢いカイアは、チェイスの元恋人・遊ばれていた・湿地での遺体・消えたネックレスという事実があれば、警察は自分を犯人と決めつけると分かっていたのでしょう。
あとネックレスを持ち去ったのは、個人的にはテイトの自分への愛の証・チェイスを愛していない証として持ち帰ったというのもあるのではないかなと思います。
貝殻や鳥の羽根を集めるのが好きだったカイアは、恋人たちとも貝殻・羽の交換をしていたので…自然のものはカイアにとって愛の証だったのではないかなと。
そして鳥の羽根を交換し合ったテイトは、自分のためにチェイスという獲物を狩ってくれた…だからその愛の証として、ネックレスを持ち帰りたかったのでしょう。
さらに愛していたからこそチェイスに貝殻のネックレスをプレゼントしたけれど、暴力的な行動に愛が冷めたからこそ、取り戻したかったというのがあるのではないかなと。
つまりカイアが疑われることが分かりきっていながら貝殻のネックレスを持ち去ったのは、テイトをかばう+捜査撹乱+愛の証のためだったのではないかなと思います。
カイアの目的
カイアはテイトの身代わりに処罰を受けるつもりなんて毛頭なく…自分もテイトも無罪になること・自分の悪い噂をかき消すことが目的だったのではないかなと思います。
捕まった当初は、カイアもテイトも処罰を受けないこと・無罪になることだけが目的だったことでしょう。
いくらカイアが湿地の娘・怪しいと言っても、捜査や裁判が進めば彼女に犯行が難しいことはどんどん明らかになっていくし、かと言ってテイトの名前が挙がることもない。
警察も検察も、そして街の人間もみんなが『カイアが犯人だ』と決めつけていますからね。
そうして裁判を受けている間に、おそらくだけれどカイアには『自分の悪い噂をかき消す』という、もう一つの目的が生まれたのではないかなと思います。
悪い噂は自分にとって不利益ばかりを生むと、早々に決着をつけるべき案件だと、その時に思い知ったのでしょう。
だから無罪を訴え続けつつも発言することはなく、か弱い女性でいた。
もし発言していたら「そうまでして助かりたい悪女」と、発言とは裏腹に悪印象がどんどん広がっていたことでしょう。
けれど黙っていれば弁護士/トムがいかにカイアが可哀想な人間であるか、犯行が不可能か、街の人間に『湿地の娘』に対する悪い固定概念があるかを語ってくれます。
人間の弱み・評価というのは、自分で語るよりも他者が語った方が民衆には効果的なものなので…街の人間の、カイアに対する印象がどんどん変化したのではないかな。
そして犯人ではないからこその無罪判決…これによって、街の人間のカイアに対する悪い印象は一気に払拭されたのではないかなと思います。
だからこそ兄は大手を振って実家に家族を連れてくるようになったし、最期まで穏やかな人生を送ることができたのではないかな。
つまりカイアは自分もテイトも無罪になることが目的だったけど、途中から悪い噂をかき消すために無罪判決を得るという目的も増えていたのではないかなと思います。
最後のテイトの行動
テイトがカイアの持っていた貝殻ネックレスを浜辺に捨てていたのは、自分の罪・知られていた事実・逃げていた自分を隠すためだったのではないかなと思います。
テイトが犯人だったのだとすると、カイアが犯人ではないことを分かっていながら、名乗りあげることもかばうことも何もしなかったということになりますよね。
その罪悪感から、テイトは彼女が無罪になったときには嬉しそうにしつつも、どこか気まずそうな顔をしていて、会いに行くこともできなかったのではないかなと思います。
けれど自分の船に鳥の羽が置いてあって、カイアは自分の罪に気付いていない・知らないと思ったからこそ、笑顔で彼女の家に行ったのではないかな。
そして夫婦になって、添い遂げて…彼女の方が先に亡くなった。
けれど遺品整理をしていたら、彼女の日記らしき物が見つかったのでしょう。
自然のことをありのまま描いて書き記していたカイアは、その時のこともあの日記に書いていたのではないかな。
さらに貝殻のネックレスが見つかって…彼女は全て知っていたのだと、知った上で黙って、自分を守っていたと気付いたのでしょう。
カイアにとっては貝殻ネックレスは愛の証だった…けれど、テイトにとっては忘れ去りたい罪の記憶・愛する人を守りきれなかった恥。
だからテイトは貝殻ネックレスを浜辺に捨てて、逃げていた過去の自分からまた逃げて…ただの幸せな老夫婦として人生を終えようとしていたのではないかなと思います。
あとあの日記も…母の物を全部燃やして廃棄したカイアの父親のように、燃やしてなかったことにしていたのではないかな。
タイトルの意味
ザリガニが実際に鳴くのかは分からないけれど、ザリガニの鳴くところには『幸せになれる場所』という意味があったのではないかなと思います。
ザリガニがもし実際に鳴く生物だったとしても、鳴く印象がないことを思うと、カエルのように大合唱するタイプの生き物ではないのでしょう。
なのに母親や兄は父親が暴力を振るうと、聞こえるかどうかすら定かではないのに『ザリガニの鳴くところ』まで逃げなさいと言っていました。
おそらくだけどあれは「父親が来ないところまで逃げなさい」という意味を、子供に恐怖心を与えないように伝えるための方便だったのだと思います。
でも生き物が大好き+幼かったカイアは、そんな場所が本当にあるかもしれないと、そこに行けば安全・幸せになれると信じていたのではないかな。
だからこそ母親の言葉の意味を察していた子供たちは家を出ていったけれど、カイアだけはあの家に残って『ザリガニの鳴くところ』を探し続けたのだと思います。
けれど大人になって、知識を得て…そんな場所はないと知った。
でも母親のことを知って・兄が帰ってきて・愛を知って・パートナーを得て…湿地が、カイアにとってはザリガニの鳴くところになっていたのではないかな。
幸せになれる場所は決まったところにないし、幸せかは人によって変わるけれど…気付いてしまえば案外身近にあるみたいな意味合いがあったのではないかなと思います。
被害者/チェイスの執着
チェイスは暴力的だし利己的だし浮気野郎ではあるけれど、カイアにだけは本当の自分を見せられる・そばにいてほしいと言っていたのは事実だと思います。
家族の不満を度々口にしていたことを思うと、おそらくは名士の息子としてチェイスはチェイスなりに、家庭環境や日々の生活に悩むこともあったのでしょう。
でも湿地にはまとわりついてくる家族・友人・世間体・名士の息子というレッテルもない…彼女は自分のことを『ただのチェイス』としてしか知らない。
それがチェイスにとっては心地よくて、自分自身でいられる唯一の場所で、安心していられる幸せな場所だったのでしょう。
でも湿地の娘に入れあげていると知られるのは、プライドが許さなかった…だから友人には、カイアを侮辱するような言い方をしていたのではないかな。
ただカイアを愛しているという言葉に嘘はないし、だからこそのあの執着だったのだと思います。
チェイスは本当にカイアと結婚したかったのではないかな。
だからこそ家族にカイアとのことを話していたし、貝殻ネックレスだって肌身放さず身に付けていたのでしょう。
けれど名士の息子にそんな結婚が許されるはずもなく、婚約者を無理やりあてがわれた…そして世間体のためと、チェイスも渋々受け入れたのだと思います。
だけどカイアは婚約者がいると知ると自分を捨てようとする、世間体のための結婚なのに、本当にそばにいてほしいのはカイアなのに…理解してくれない。
カイアのことを愛しているからこそ理解してくれない不満が暴力として現れ、彼女を自分のものにしたいという支配欲がさらなる暴力・執着に繋がったのではないかな。
つまりチェイスは最低野郎ではあるけれど、カイアを愛していたのも事実だし…彼には彼なりの事情があったのではないかなと個人的には思います。
恋人/テイトへの愛情
釈放されたカイアが「本当に愛したただ一人の人」とテイトのことを表現していたことを思うと、確かに彼に対しての愛情はあったように思います。
テイトは過去に自分のことを捨てたけれど、チェイスを自分のために排除するくらいの気概・愛情は見せてくれたから許したのではないかな。
母親も自分を迎えに来ようとして息絶えた、幻かもしれないけれど最期には確かに自分を迎えに来てくれたから許していたと思います。
ジョディのことも、本を出版しただけでわざわざ住所を調べて会いに来てくれたから、自分を捨てたことは許していたように感じました。
カイアにとっては自分を捨てた人間は許せない、けれど自分のところに戻るための気概・意気込み・愛情を見せてくれた人は許していたのではないかな。
個人的にはカイアは愛したいというよりも、愛されたい願望の方が強かったように感じました。
だからテイトが自分のことを裁判で守ってくれなかったことも愛してくれたから許し、生涯の伴侶として最期まで彼を愛していたのではないかなと思います。
映画『ザリガニの鳴くところ』の関連作品
映画版とは設定・印象が違うところがあって、興味深かったですね。
まとめ
涙あり・ストーリー性あり・共感できるキャラクター性ありで、面白い映画でした。
大部分を一人の女性の人生を見守るヒューマンドラマ系にしながらも、結末にはしっかりと人間の闇深さ・謎を含ませた締め方で、視聴後まで楽しめましたね。
なのでどちらかといえば人間の闇深さがあるイヤミス映画がお好きな方、ミステリアスな謎も含まれたヒューマンドラマ映画がお好きな方におすすめな映画でした。